スポンサーサイト

--/--/--(--) --:--:-- [スポンサー広告]

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

東小金井高架下のオンリーフリーペーパー

2015/01/12(月) 00:02:32 [詩文・俳文]

 中央線三鷹以西の高架化事業が完了し、高架線路に沿った新しい車道と遊歩道が長く一直線に整備されつつある。またそれに伴い、高架下のスペースには種種の商業施設が誘致され、開業し始めている。従来の中央線高架下のイメージを変革したいという意志なのだろうか、高級スーパー、保育園、黄緑色のシェアサイクル(レンタサイクルの進化した形態)等が今までに開設されている。
 東小金井駅の東側のブロックのオープニングイベント当日には、いかにも上級役人といった佇まいの、JR東日本の孫会社の社員達が、オレンジの腕章を着用したスーツ姿で周囲を巡回している。オシャレ系のカフェやアウトドアショップ、ベンチャー起業家のためのレンタルスペースなどが新規に営業を開始したその一隅に、「オンリーフリーペーパー」の姿を発見した。様々なジャンルのフリーペーパーを収集、配布する、一種のサブカルチャースペースである。最初は裏原宿、渋谷東側と原宿の間の、若者文化が盛んな場所に開業し、しばらくしてから渋谷のパルコ内に移転したが、この地において三度遭遇することとなった。
 JR系列の開発業者が仕切る高架下のに、どのような政治力があって潜り込んだものなのか、私には良くわからない。
 フリーペーパーとは言っても、この東小金井の店内には、ゼロ年代サブカルチャーの雰囲気は余り感じられない。店の中央に平積みにされているフリペの過半は、行政、地方自治体や企業の広報物である。そのことに違和感を感じないこともないが、それが悪いとも言えない。その種の配布文書は、手に取ると紙も印刷も良質で、費用をかけて作られたものであることがすぐにわかる。レイアウトもタイポグラフィも明るく読みやすく洗練されていて、読み物としてもフツーに面白い。
 「ののわ」(この地域一帯の高架下スペースを開発している、JR東日本の孫会社の広報物)のバックナンバーを、創刊号から全て入手する。これだけを一度に入手出来るのは滅多にない機会ですよと、その場にたまたま居た編集プロダクションの人が言う。
 一方、書棚にはいわゆる昔ながらの、個人発行のフリーペーパーも詰め込まれている。しばらくその中を調べる。知人の、古い創作物なども発見する。懐かしい。知人の中には、今でも健在で創作活動を続けている者もいれば、行方不明になってしまった者もいる。ある種のタイムカプセルのようであり、歳月の流れを感じしばし佇んでしまう。
 そしてまた、この地も中央線文化圏の一部、その延長線上に存在していることを再確認する。快速が停まらない、三線二ホームのこの小さな駅も、中野高円寺や吉祥寺から、確かに、一直線上に、存在している。
 高架線路に沿ってどこまでも、三鷹から国分寺まで一直線に続くはずの新しい遊歩道はしかし、一度完全に切断されている。東小金井武蔵境の間には、JR東日本の変電所が要塞のように蟠居しているからだ。遊歩道接続用の、土地の取得は大分以前に完了しているようだが、いつまでも工事は開始ないままオレンジのフェンスによって封鎖されたままだ。
 だから人は、一度北側に迂回して、スタジオジブリ正面の道を右折して、住宅地と団地の一角を通過しなければならない。



注:入手した「ののわ」創刊号から全ての号は、後日高円寺・みじんこ洞に寄贈した。
スポンサーサイト

万世橋マーチエキュート

2014/11/11(火) 16:02:47 [エッセイ]

 神田お茶の水間の高架下、戦前に存在した旧万世橋駅跡地に、JR東日本の商業施設が開業した。秋葉原側から歩いて行くと、神田川に沿って緩くカーブした高架線の煉瓦造りの外壁が目に入る。その瀟洒な佇まいは、いかにも戦前のモダニズムといった感じがする。
 外観を裏切らず、各種テナントもまた、オシャレ系のショップが揃っている。飲食店、インテリアショップ、ギャラリー……。おそらく、JR東日本とその関連企業は、高架下という空間が持っているイメージを根本的に刷新したいのだろう。その方針はここに限らず、例えば近年の武蔵境~東小金井駅間の高架下開発などにも見て取れる。そしてまた、高架下空間のオシャレ化、ブランド価値化推進路線の陰画として、少し以前に話題になり、サヨク方面やサブカル方面の反発をかった、阿佐ヶ谷駅高架下の大規模リストラがあるのだろう。
 旧万世橋駅については、机上の知識しかない。この地に関する現実の私の記憶は、何よりも幼い頃祖父に連れられて行った、旧交通博物館の思い出である。つまり昭和時代の思い出である。懐かしい。祖父の青少年期において廃された旧万世橋駅の、跡地に残された交通博物館もまた、私の中年期において閉館となった。
 今の私にとって、旧交通博物館が懐かしいように、祖父にとっては、旧万世橋駅が懐かしいのかもしれない。交通博物館は、世紀と元号とを跨ぎ、二十一世紀の平成時代まで存続していたのだが、この新しい商業施設、マーチエキュートは、一体何時までこの場所にあるだろうか? 私の子供の世代か、孫の世代かはわからないが、後世の人々のノスタルジーを喚起し、惜しまれ懐かしがられるような空間になるだろうか?
 高架下スペースのエントランスのような空間に置かれている、旧万世橋駅周辺を再現したジオラマを何となく眺めながら、何となくそんなことを考えた。さすがに精緻に作られている。何枚も写真を撮影した。
 旧駅のホームのスペースを利用したダイニングバーでしばらく過ごす。値段は、やはりやや高目だ。中央線の上下線のレールに挟まれた、絶好のトレインビュースポットだが、客の数はそれほど多くない。私以外には、仕事上の打ち合わせをしているらしきスーツ姿の若い男性二人組と、同じく女性二人組が居るだけだ。金曜日の午後五時過ぎなのに、新しく客が入って来る気配もない。
 オレンジ色の中央線車両に混ざって、カラフルな特急車両が上り線を走ってきた。特急ではなく、青梅ライナーの表示を車体の電光掲示板に掲げている。暫くすると、今度は下り線を走ってお茶ノ水方面へと去っていく。その速度は存外に速く、上手く写真に収めることが出来ない。完全な闇となった秋の空間に溶けるように吸い込まれるように消えていく。

雪に閉ざされた

2014/07/04(金) 14:53:46 [【13-14】※現在工事中です]

 近年高架化された中央線の三鷹以西の車窓からは、富士山が良く見える。雑居ビルが視界を遮る中野から阿佐ヶ谷、西荻窪から吉祥寺までとは異なり、この辺りは視界を遮る建築物がほとんど無く、開放感のある遠望を見せてくれる。
 記録的な豪雪が通り過ぎた青天の早朝、武蔵境から東小金井間の富士を見て、その純白の美しさに驚いた。その麓の山梨県は、交通が遮断されて孤立状態が続き、復旧作業も難航していることが連日報道されている。つまり、今乗っているこの車両のレールの延長線上に、その自然災害は現在進行形で存在している。私は別に善人でも人格者でもないが、そのことを思うと、少し胸が痛んだ。
 雪害による物流の停滞は他人事ではなかった。空白が目立つ職場近くのスーパーの棚を見ていると、いつか、遠い将来において、何らかの天災や戦災によって、日本列島全体が物資不足に陥った時の、予行演習をさせられているような妄想にしばし捉われる。

スタジオジブリと徳川黎明会

2014/06/07(土) 09:37:35 [【13-14】※現在工事中です]

 高架化されたJR中央線に並行して道路整備が行われている武蔵境駅の北側を、新しく開業した黄緑のシェアサイクルに乗って西へ進む。獣医大学の厩舎があるために馬糞の臭いがする道を住宅街の方に入ると、兼業農家の農地と宅地と高層マンションが混在する空間をゆっくりと走っていく武蔵野市のコミュニティバス、ムーバスとすれ違う。そのバス停間の距離はとても短く、速度はおそらく自転車よりも遅い。農家の玄関先では、無人直売所がある。
 変電所を大きく回り込んで小金井市側の住宅地に入ると、蔦植物が壁面に攀縁した、凝ったファサードの建物が視界に入る。図書館か美術館か、それとも企業の研究所か何かだろうかと思ったが、そうではない。かのスタジオジブリであった。周囲を植物で覆われつつ住宅街の中に不意にその瀟洒なデザインを誇示する所と、公共の文化施設のようにも見えるが一般人は立入禁止である所は、かつて目白の西側で目撃した徳川黎明会の建物と似ているなと何となく思った。
 角を曲がって東小金井駅に近づくと、広大な空地の一面が青いビニールシートに覆われている。巨大な医療施設の建設予定地だという。

高架化終了後の中央線の石柵

2014/01/31(金) 12:41:12 [【13-14】※現在工事中です]

 高架化工事が完了した武蔵境から国分寺までの中央線沿線で、再開発が進行している。中央線に並行して東西に走る車道や歩道も至る所が工事中だ。掘り起こされ、新しく舗装しなおされ、各種インフラを埋設される。経路を変えられ、街燈を整備され、街路樹を植えられる。工事終了後はその大部分がすっきりとした直線に姿を変える。
 けれども、工事現場であることを示すオレンジの柵の付近を良く見ると、石造の柵が未だに残されているのを目撃することがある。中央線がまだ地表を走っていた時代に、その敷地を守っていたものであろう。個人住宅に隣接している場合などは、撤去が進まないことも多いようだ。
 その正式名称を何と呼ぶのかは、私は知らない。いずれ無くなるものではあろうが、時代の趨勢に盲従してその全てを抹殺してしまうのは何だか忍びない。僅かな部分でも良いから「武蔵野遺産」とか「多摩遺産」とか名付けて、保存の対象に出来ないものだろうか?

杉並アステロイドベルト

2013/12/26(木) 16:14:48 [詩文・俳文]

 杉並区の、JR中央線京王本線とに挟まれた地帯をバスで縦走すると、一度は必ず、錯雑した狭小な経路の不可思議な空間を通過する。場所によっては、妖気すら漂わせている。永福町高円寺の経路も、下高井戸から桜上水を経て浜田山を結ぶ経路も、浜田山と阿佐ヶ谷の経路も、蘆花公園から高井戸を経て荻窪を結ぶ経路も、そうであった。
 何故なのか?
 東京都西部においてあるべき公共交通の姿を考えれば、中央線京王本線との間にはもう一本、東西に走る緯線が存在してもおかしくは無かった。太陽系におけるあるべき天体の構成を考えれば、火星と木星との間にもうひとつ、惑星が存在していても不自然ではないのと同じように。
 しかし現実には、火星と木星との間には、惑星は存在しない。存在するのは、アステロイドベルト、遂に惑星になれなかった、無数の小惑星の集合体だ。それと同じように、中央線京王本線との間には、緯線は存在しない。存在するのは、中央線の重力に屈して荻窪に吸着した丸ノ内線と、環七において夭折したその支線だ。どうしてそのまま真直ぐに、西に伸びなかったのだろう。
 井の頭線は彗星のようなイレギュラーな軌道でこのエリアを通過していく。
 だから僕はこの地帯を、杉並アステロイドベルトと呼称したい。

東中野のアトレシティ

2013/04/29(月) 23:32:44 [【12-13】オレンジをアップデート]

 東中野駅に新しく完成した駅ビルを見て、またしてもアトレかよと思わざるを得ない。都心のオシャレ商業地である恵比寿もアトレ、老人の街巣鴨にもアトレ、埋立地の新興住宅地新浦安にもアトレ、下町の繁華街亀戸にもアトレ……。ここ数年、所用で訪れる街において、かなりの頻度でアトレの姿を目撃してきた。既視感そのものしか無い。二〇一〇年代の日本の首都圏において、商業という分野は、人々に新しい発見や驚きを提供する能力をそもそも失っているのかも知れない。
 二階には成城石井がある。これも見飽きた。その隣にある、よくあるベーカリー併設のカフェで、チーズの入ったパンを食べ、葡萄ジュースを飲む。中野・三鷹方面に向かって大きく開いた窓から、山手通りの下をくぐる中央線の切通しを眺めていると、黄色やオレンジの車両が頻繁に行き交うのに混じって、時折派手なデザインの特急車両が走って行く。
 その眺望だけは、悪くない。
 直下にはまだ工事中のスペースがあるが、いずれバスロータリーでも出来るのだろうか?
 店内はオバチャンで賑わっている。凡俗な空間のその凡俗性を増幅させる強調記号としての。
 この建物には立ち食い蕎麦屋など無い。うどん屋も無い。
 大久保からのカーブを経て、ここ東中野から始まる長い直線は立川まで続いている。そして立川にもまたアトレが待っている。
 三階の書店にもやはり店内に喫茶店が併設されていることを後になって発見する。眺望はこっちの方が良かったかも知れない。
 


新しいビルのどこにも
新しいものなど見えない事実について



 駅北口の富士そばは健在だ。
 かつてサミットがあった場所は工事中だ。超高層マンションを建設中で、その下層階に改めて開店するのだと言う。

東北縦貫線の高架

2011/05/15(日) 07:56:00 [詩文・俳文]

 東京神田間の東北新幹線の高架の、上空に更に高架線を建設する工事が行われている。現在は上野駅始発となっている東北本線・高崎線・そして常磐線を延伸する「東北縦貫線」計画のものである。それらの路線の一部は、将来は池袋以南の湘南新宿ラインと同様に、東海道線と相互乗り入れを行う予定もあると言う。
 「東京駅一極集中」現象の最たるものであり、上野駅の格式低下は避け難い。かつて石川啄木寺山修司が、郷愁を幾分あざとく歌い上げた歌枕としての、東北への始発駅としての栄誉を、上野はほぼ完全に喪失してしまう。
 しかしながら、それとは別種の憐憫を、私は禁じ得ない。山手線・京浜東北線・中央線・東北・上越・長野・山形・秋田新幹線を束ねる、首都圏の鉄道網の頸動脈と言うべきこの区間を並走する電車達のどれかの車窓から、工事中のその立派な橋脚を仰ぎ見る時に、禁じ得ない。その高さは既に周囲の並の雑居ビルを圧倒している。やがてその上に高架線が渡されるのだろう。新しい線路がどこか遠くへ新しく繋がれることの高揚感が、そこには存在して然るべきである。常磐線のことを思う。幾ら東京駅まで延伸したとしても、福島県のあの沿岸地方を通っている限り、最早……。頸動脈から分岐した血流の一つは、確実に、切断されていることを私達は知っている。



新しく繋ぐレールのその先の大地は既に失われている



建設の意志も朱塗りの半径の巨大な虚無に吸い込まれていく

楳図ハウス

2010/08/20(金) 00:35:26 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

 井の頭公園からJR吉祥寺駅へ続く道の混雑を回避して住宅地の中に入ってみる。ギターを背負った男と、その恋人らしい女がある民家の前で立ち止まって話をしている。何だろうと思ってその視線の先を見たら……
 紅白のストライプの壁。
 屋根から突き出したタコの顔のような形状をした小塔。
 近隣住民から訴えられたというニュースをいつか聞いた覚えがある、楳図かずおハウスが不意にそこにある。

 歩みを止めて、あるいは緩めてこの建物を眺める人は、このカップルの他にも何人かいるようだ。側面はどうなっているのかと思って右側に回り込むと、プランターの植物に水をやっていた対面の家の老婆が、迷惑だから路上にたむろしないでくれという意味の苦情を浴びせて来る。確かに、閑静な住宅地において異彩を放ち過ぎている。文化人も多く住むという、美しく整備された花壇の如きアッパーミドル層の居住地区のある一点において、中央線沿線に浮遊するサブカルチャーの菌糸が不意に、(不運に?幸運に?)着床して発芽し、毒々しい巨大キノコに成長したようなものだ。
 そのように言われると、何だか悪いような気がして、写真に撮るのは遠慮しておいた。



武蔵野の
青空乱す
紅白のストライプの異志、タコの不意打ち

高円寺

2010/07/16(金) 05:02:25 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

中央線の高架下に長く連なる飲食店街。
焼き鳥屋、焼き肉屋、そして焼き豚屋。
駅前から南北にそれぞれ伸びる商店街。
古本屋、ラーメン屋、オシャレ雑貨屋。

中央線サブカル文化圏のグランドクロス。

今日のヴィレッジ・ヴァンガードからは相対性理論の歌が聴こえる。

南口から、永福町行きの京王バスが発車している。
この街は杉並の玄関口。
井の頭線沿線のブルジョワ生活圏の気配がしても可笑しくは無い。

商店街は、鉄道の高架によって切断されていない。
狡猾にその下を潜って、
駅の南北を接続することに成功している。

ガード下の大衆酒場の隣にも古本屋がある。

古書店DORAMAが、駅の北口の各所に蟠居している。
下北沢から流出した気体の、その成分の幾許かは、
あの商店街を通って中央線の高架下をすり抜け、
こちら側まで浸透しているのだろう。

この街は杉並の玄関口。
けれども北口から発車しているのは、
赤羽行きの国際興業バス
埼玉平野に繋がっている。

西武新宿線も、
西武池袋線も、
東武東上線も、
都営三田線も飛び越えて、
埼京線と東北本線と京浜東北線が待っているあの街にまで、
遥かに繋がっている。

ホテルメッツは無色透明。
サブカルの街の中立地帯。
どんな空気にも染まらずに、ただニュートラルに、駅とともにある。
他のどの駅のホテルメッツとも、全く同じようにある。

吉祥寺、雨

2009/10/17(土) 00:25:04 [詩文・俳文]

あるアンケートによると、
吉祥寺は首都圏で最も住みたい街なのだと言う。

新宿を起点として中央線沿線に広がるややレトロな感じのサブカルチャーに、
いわゆるシブヤ系の若者文化をふりかけて、
薬味に下北沢を添えたイメージによって、
この街は特に、個性的であることを自認する若者達から
高い人気を集めているのだろう。
そのイメージを支える下部構造、
この街をこの街たらしめている最も基礎的な交通インフラである、
京王電鉄井の頭線の高架が街の南側に斜めに突き刺さる。
そのガードのあちこちには、
渋谷まで急行で17分、あるいは16分と誇らしげに書かれている。

しかしながら、
個性的な人や店舗が集まるといわれるこの街を、
雨が降る平日の午前中に用事があって訪れた私が
最初に入ったのはATMが置いてあるファミリーマート
次に入ったのははなまるうどん
所用を済ませた帰路に立ち寄ったのはブックオフ吉祥寺南店であった。
現在改装作業中と看板に書かれているが、
店員によると何でも少女マンガのコーナーを拡張するらしい。

この街のどんな店にも、秋霖が等しく冷たくのしかかる。

井の頭線は、他の地下鉄路線などとの乗り入れを一切行っていないために、
渋谷の空気を純度の高いままに
この街まで運んでくるかのようなイメージを人々に持たせるのだろう。
途中駅で各停を追い抜いて渋谷に最も早く着く急行電車の
その車内に、
高尾山観光の広告が溢れる。

井の頭線吉祥寺駅ガード01
ブックオフ吉祥寺南店看板
井の頭線吉祥寺駅

新中野

2008/12/21(日) 01:26:34 [【シリーズ】山手線から三駅目]

新宿以西の丸ノ内線青梅街道の地下を走っているが、
その青梅街道中野通りの交差点付近に設けられた駅が
新中野だ。
JRの中野から見て、南側にあたる。

幹線道路に沿った地下鉄駅に共通のことだが、
この駅自体は、周囲の景観にはほぼ何も影響を与えていない。
地上に出ると、黄金に染まった銀杏の並木が迎えてくれるが、
基本的には、何のメルクマールもない、
雑居ビルと集合住宅が混在する平凡な市街地の風景だ。



江戸時代の川越街道がそのまま商店街として残っている大山や、
幹線道路となっている現在の中山道と、
商店街になっている旧中山道が棲み分けを行っている
板橋区役所前とは異なり、
新中野周辺は青梅街道がそのまま現代の自動車道になっているために、
このような景観になっているのだろう。

新宿側の交差点から南に向かう一車線道路の両側に、
商店街が伸びている。
鍋屋横丁、略称鍋横というらしい。
何やら由緒のある地名だが、その由来はわからない。
そのような地名が残されているのだったら「新中野」などと名付けずに、
それを駅名にすれば良いのにと思うのだが。
鍋屋横丁の奥には、やはりそれなりに歴史的な出自がありそうな、
十貫坂上という地名もある。
もったいない。

鍋屋横丁の蕎麦屋の店内では、
バンドマンらしき中年のカップルが、
今回のチケットは何枚売れたかとか、
どこのライブハウスが良いとかという、
いかにもギョーカイ人っぽい会話をしている。
この辺は、中央線沿線サブカル文化圏の影響を色濃く感じる。
店員によるとこの蕎麦屋は、神田「まつや」の直系であるという。
その隣には、つけ麺で有名な池袋大勝軒を名乗ったラーメン屋があるが、
これもその直系だろうか?



「東西南北中武蔵(美園)」という言葉がある。
これはJR浦和駅の周辺の駅の名前を揶揄したもので、
元々何も無い所に街を作って駅を作ったので、
命名に窮して何の個性もない無機質な駅名ばかりが並ぶことになったのを
指摘したものである。
類似の言葉に、千葉県の船橋駅周辺を揶揄した
「東西新法典京成」がある。

これと同様に、中野近辺の駅名を揶揄するのなら
「東新坂上富士見新橋」とでもなるのだろうか?
もちろん現在の中野区は、
埼玉の浦和や千葉の船橋といった郊外とは異なる立地にあるのだが、
しかしこれらの駅名を見ると、
中野もまた、元々は何もなかった場所なのだなあということが感じられる。
そう言えば町名を見ても「中央」とか「本町」とかばかりだ。

江戸から姿を変えた近代都市としての東京において、
中野辺りは最も早く登場した郊外的空間なのかも知れない。
(いや、そもそも中野の「宗主国」である新宿こそが、
東京府の最初の郊外的空間なのかも。
「東西南西武西口三丁目」……。)



青梅街道に沿ってギャラリーが数軒あり、
女子美大生の作品などを展示しているが、
これもやはり中央線文化圏の影響だろうか?

この地域から北は、中野に向けての下り坂、
東と南はおそらく神田川に向かってのやはり下り坂になっている。
つまりこの街は、そこそこの高台に位置している。
その狭い路地が錯綜した住宅街を、
電動自転車に牽引されたクロネコヤマトの緑色のリヤカーが行く。
豆腐屋の人力リヤカーの人も
冬至の近い冬の早い夕暮れに笛を吹いて
客を集め始める。

| HOME |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。