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東急プラザ銀座の八代目けいすけにて

2016/07/16(土) 01:28:59 [詩文・俳文]

 銀座線の改札口から地下通路を通って、東急プラザ銀座の地下フロアに直接入る。そのため、この新しい商業ビルの、特徴的な多角形の外観はまだ確認していない。
 今日の目的は、その地下フロアにあるラーメン屋「八代目けいすけ」だ。河豚で出汁を取るという塩ラーメン、公式では潮ラーメンと表記されている、話題の一杯を食べたい。
 地下フロアの角地に店を見つける。休日の正午前なので、行列などは特に出来ていない。食券制だ。目的のラーメンとビールを購入し、カウンター席に案内される。
 「けいすけ」の系列店は、どちらかというと学生街や大学キャンパスの付近で、良くみかけたような気がする。本郷の東大前でも、高田馬場でも食べた記憶がある。それぞれの店で、異なる個性を売りにしており、例えば、高田馬場の「けいすけ」は、海老そばというのが看板メニューだったように思う。通常のラーメン丼と比較して、やや縦長で背が高い瀟洒な外観の器で、海老で出汁を取ったというラーメンを食べたことを覚えている。
 しかし、ラーメン店の「けいすけ」の中で最も強い印象があるのは、神保町の「肉そばけいすけ」だ。


 
 日雇いの、屋外労働で生計を立てていた時代、短野さんという仕事仲間が居た。同じ手配師の下について、仕事を配分してもらうという意味においての、「仲間」であった。彼と二人で、一月の神保町の現場に入ったことがあった。ラーメンマニアの短野さんは、神保町と言えば何と言っても「肉そばけいすけ」だ、今日初めて行くのだと、早朝の集合時からはりきっていた。
 この仕事は、時間ごとに交代制なので、彼と私は、同時に休憩に入ることは出来ない。休憩時間に、勇んで「肉そばけいすけ」に向かう彼の後ろ姿を見送った。
 酷評していた。とにかく全てに、激しくダメ出しをしていた。その落胆ぶりは、重く深く、聴いている方も疲労を感じる、痛々しい性質のものであった。その批判は当日で収まらず、その後数年に渡って、彼と同じ現場に入るたびに同じ内容を繰り返し聞かされた。
 だから結局、神保町の「肉そばけいすけ」に私は行かなかった。その日も行かなかったし、今に至るまで行ったことがない。だから同店に関する判断材料を、私は持っていない。

 短野さんは、今、どこで何をしているのだろう。合コンで、ペットのトリマーの奥さんをゲットしたという短野さん。奥さんは店長職で高収入のため、いつも尻に敷かれていると愚痴っていた短野さん。
 かつては野球少年だったという短野さん。余りにも過酷な練習のために全身が筋肉痛となり、次の日の朝全く動けず、寝返りすら打てないまま布団の中で涙を流したという短野さん。スポーツ推薦で、神奈川の武相高校に進学し、甲子園を目指していたという短野さん。早稲田や慶應といった有名私大の付属高校も、ひたすら高校野球の強さだけで評価し、論評していた短野さん。一番大事な時にエラーをしてしまい、保護者会から猛攻撃を受けたという短野さん。
 休みの日は、義父の経営する会社の倉庫で働かされていた短野さん。手配師から日当をピンハネされ続け、一通のメールを残してある日突然仲間の前から姿を消した短野さん。その後、奥さんからも見放されて、家に入れて貰えず、仲間の所に一万円を借りに来た短野さん。酒が回ると、電線を盗んでクズ鉄屋に売って金を稼いだという武勇伝を、アウトロー気取りで得意気に語り始める短野さん。日雇い労働者の仲間内では、常に強い者にへつらい、弱い者をいびっていた短野さん。ペヤングソース焼きそばの容器のような長方形の輪郭に、天然パーマで黒縁眼鏡の短野さん。



 ふぐ潮ラーメンは、普通に旨い塩ラーメンであった。河豚の肉も、申し訳程度に入っていた。ただ、磯の香りは、いかにも後から取ってつけたような人工的な感触がした。
 一杯千円の価値があるかどうかは、判断を保留したい。
 春の銀座の街角に出て、東急プラザ銀座の、その話題のファサードを撮影する。良い天気だ。歩行者天国を少し歩いてみようと思う。
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1Q84? 1Q42?

2010/07/09(金) 03:00:32 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

 コピーライターを自称する知人から、例の、『1Q84』を勧めるメールが遂に届いた。私のようなものの所にも、世間一般の流行の波がそれなりに押し寄せるものなのである。返信で『1942』を勧めようかとも考えたが、現在入手可能かどうかもわからない、アーリーカプコンの高難易度シューティングゲームを無闇に推薦するのも無責任な話だと思ってまあ止めておいた。やれやれ。
 後日その本を、高田馬場に二軒あるブックオフの、神田川の対岸にある方で発見したが、九〇〇円と結構な値段がするので見送った。新宿二丁目ブックマートではさらに高く、一三〇〇円もした。やれやれ。

初志貫徹

2010/03/27(土) 23:43:27 [詩文・俳文]

JR池袋駅のメトロポリタン口から椎名町方向に少し入った辺り、
警察署や消防署があるややさびしい感じのする一角に、
延伸の途中で投げだしてグダグダになったまま
長い間放置されていた作りかけの道路があった。
ところが久しぶりにその近くを通ると、
土地買収が奇跡的に成功したのかなんなのか原因は不明だが、
何時の間にかその工事が進展していて、
立教大学の裏側あたりにまで到達しているではないか!

池袋のくせに、都市計画がまともに機能している!
池袋のくせに生意気だ!
池袋だって、やれば出来る。

このまま順調に工事が進めば、やがて山手通りに接続するバイパスが開通するだろう。

それにひきかえ、高田馬場から山手線の内側に沿って、
新大久保に向かって伸びる、あの道路のだらしなさといったら……。

池袋のサンシャイン裏の一帯と同じように、
そして都内の至る所で目撃されるように、
この辺りにもタワーマンションが建ち始めている。
都市計画家や不動産業者の目から見たら、
水平方向にも垂直方向にもまだ未開のフロンティアが広がっているように見えるのだろう。

ただその開発の波は、幸か不幸か西武池袋線によって阻まれ、
その向こう側の目白には、もうしばらくの間は波及していない。

それにひきかえ、高田馬場から山手線の内側に沿って、
新大久保に向かって伸びる、あの道路のだらしなさといったら……。

ツクモ電機の消滅

2009/03/16(月) 04:57:37 [短歌]

三月の高田馬場にて。



何時の間にツクモ電機が潰れてて
F1ビルの剥き出しの床



一月のことだと言う。

高田馬場の手塚の壁画

2008/11/09(日) 01:49:55 [詩文・俳文]

手塚マンガのキャラクターが描かれた、
高田馬場早稲田口のガード下の壁画が、
知らない間に早稲田通りの向こう側に移動していた。
JR側のガード下にあった従来のものに加えて、
西武新宿線側のガード下にも二枚目の壁画が新たに描かれている。

ガード下の陰気な雰囲気を改善したいという意図から
これらの壁画は設置されたものらしい。
だが絵の前には人が集うようなスペースも無く、
駅前の新しいメルクマールとはならないように思う。
高田馬場駅前の待ち合わせ場所と言えば、
やはり今でもビッグボックス前なのだろうか?

ビッグボックスも、芳林堂が入ったF1ビル
外装がリニューアルされたが、
ドバトの姿と学生ローンの看板がやたらに多いのは相変わらずだ。

古い方の壁画が以前にあった場所は、
今はベックスになっている。
この壁画が最初に描かれる以前から私はこの街を知っているが、
だからと言って特に愛着を感じるわけでもなく、
また懐かしいわけでもない。

早稲田通りのラーメン激戦区

2008/09/03(水) 04:57:17 [【07-08】雑司ヶ谷下水道水難事件]

早稲田通り高田馬場から早稲田にかけて、
最近やたらにラーメン屋とカレー屋が増えている。
一昔前は、早稲田通り明治通りの交差点から
新大久保早大理工学部にかけての一帯が
いわゆるラーメン激戦区として知られていたのだが、
副都心線の開通に伴う地下鉄西早稲田駅の開業によって、
人々の動線が変化したことが反映しているのだろうか?

長年私が利用してきた写真スタジオは営業を止めて、
その雑居ビルでは改装工事が行われている。

「傘亭」の対面に「幸福の科学」

2007/07/23(月) 00:38:01 [【06-07】SuicaのCM]

JR高田馬場の早稲田口を出て、
早稲田通り小滝橋の方向に暫く歩いたその右手に、
傘亭」という小さな蕎麦屋がある。
蕎麦と江戸文化をこよなく愛したことで知られた、
故・杉浦日向子が最も気に入っていた店で、
その著作の中でも「特選五店」のひとつに挙げている。
街並みを注意深く見ていないと見逃してしまいそうな木造の
小さな間口の小さな店である。

店主一人で切り盛りしているとのことで、
材料にも製法にも酒のレパトリーにもこだわりが感じられる。
職人気質の渋くてストイックで上品な蕎麦屋で、
杉浦氏が特別にお気に入りに入れたその理由も、
なんとなくわかる気がする。
ちなみにこの付近には「真菜板」という
やはりちょっと有名な料理屋もある。

その「傘亭」の対面、早稲田通りを挟んだ向こう側に、
見慣れない白亜の建造物がいつの間にか建っている。
以前はボーリング場とか、焼肉屋とかが
適当に入っていたビルだったと思うのだが。
その周囲から嫌でも浮き上がって目立つそのファサードを良く見ると、
ローマ字で「KO-FUKUNOKAGAKU」と書いてある。
いや、創価学会の覇権伸長が著しいのは
現在の日本社会において最早公然の事実だが、
幸福の科学の施設までが、
いつ、なぜ、こんな所に出来たのだろうか。

目白通りの強姦魔

2006/12/24(日) 00:56:43 [【06-07】SuicaのCM]

JR目白駅近くのラーメン屋から、
この十二月に火事が出て、
目白通りはその消火のために塞がり、
テレビのニュースネットでも
けっこう話題になったらしい。

そう言えば、
目白では、少し前にも火事が出て、
新しくできたばかりの小料理屋が
あえなく閉店に追い込まれ、
今は南長崎の辺りで
新しい店を出しているらしいと
駅に近いバーで噂をしていた。

人の不幸を喜ぶつもりはないのだけど、
そういう会話に何となく参加していると、
自分もこの街の一部になった気がして
面白い気がする。

私の学生時代の頃に、
一人暮しの女性ばかりを狙った強姦魔が
目白通り沿いに出現して、
高田馬場芳林堂にも、
指名手配の写真が張られていたりしたのだが、
しばらくして朝鮮人が逮捕されたと
記憶している。
そういった諸々のアクシデントもまた、
この街の歴史を構成する
小さな事件のひとつなのだろうか。

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