西脇順三郎『雑談の夜明け』より1

2013/11/02(土) 00:18:36 [引用▼日本]

当帰よりあはれは塚の菫草(芭蕉)


 この当帰という元のことばは、人間は当然空無に帰すという淵明のことば。そして「とうき」という音は「とうき」という草の名でもある。せり科の植物。そして人間みな空無に帰すということは哀れであるが死の塚の上に咲く菫のほうがより哀れだ、という意味である。芭蕉は真髄の自然詩人であるから、菫を見ると果てしない哀れをおぼえた。

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『井月句集』より7

2013/03/19(火) 19:58:48 [引用▼日本]

冬の蠅牛に取りつく意地もなし

哀れさに憎気もさめて冬の蠅

薬煉る窓下ぬくし冬の蠅



季語「冬の蠅」三句。
冬の蠅は、芭蕉から梶井基次郎までを貫く、日本文芸史における、
一つのポピュラーなモチーフ。
一度良く調べてみたい。

『井月句集』より6

2013/03/16(土) 23:11:04 [引用▼日本]

ゆるむ日の罔両見るや寒の入り

冬ざれや身方が原の大根畑

雪の日や無尽済ての送船

雪散るや蜂の覇王樹まだ裸

鮟鱇や兎角もの憂き懸け処



罔両:かげぼし。影の周りに出来る薄影のこと。
⇒とものの本には書いてあるのだが、この言葉の初出である荘子を原文で読んでみてもどういうものなのかイマイチ良く分からない。未だにわからない。(青条)

冬ざれや~の句は、前出の「秋風や~」と中七、下五が全く同じ。古戦場を織り込んでおけば取りあえず俳句っぽくなるということだろうか?

覇王樹はサボテンのこと。江戸時代には渡来していたというが、幕末明治の長野の山奥でも、俳句の材料になるほどにはメジャーな観葉植物だったのかと感心させられる。

鮟鱇は冬の句の季語として非常にポピュラー。
私ごときでも以下の句を暗唱している。


鮟鱇や孕み女の吊るし切り(漱石)

鮟鱇の骨まで凍ててぶら切らる(楸邨)


頼山陽が鮟鱇の美味を讃えた漢詩「華臍魚を食う歌」はこちら
http://kurzgedicht.blog81.fc2.com/blog-entry-2114.html

幕末明治の長野の山奥においても、鮟鱇という食材は俳句の材料になるほど知られたものだったのか?

『井月句集』より5

2013/03/16(土) 00:58:57 [引用▼日本]

秋風や身方が原の大根畑

月の夜やなすこともなき平家蟹

松風を吐き出す月の光りかな

稲妻や藻の下闇に魚の影

稲妻のひかりうち込夜網かな



身方が原:三方が原のこと。家康と信玄が戦った古戦場。かつての戦の痕跡を伝えるものは何もなく、ただ大根畑が広がっているという対比。芭蕉の「夏草や~」と類似した感慨であるとも言えるし、「秋風五丈原」とも似ている。

稲妻の二句は、夜の静寂が、稲妻によって一瞬フラッシュのように照らし出された情景。(稲妻は元々光だけで音が無いもの。)

『井月句集』より4

2013/03/13(水) 00:45:20 [引用▼日本]

朝ぶさへ祝はれにけり単衣もの

冷麦の奢りや雪を水にして

銭取らぬ水からくりや心太

秋の部

朝寒や豆腐の外に何もなし

蕎麦切も夜寒の里の馳走かな



朝ぶさ:朝普茶。朝一番に食べるお菓子のこと。

『井月句集』より3

2013/03/10(日) 20:24:26 [引用▼日本]

散る花や若い女の角隠し

夏の部

よき水に豆腐切り込む暑さかな

暑き日やひれを包てあぶる鯛

出た雲のやくにも立たぬ暑さかな

白雨の限りや虹の美しき



白雨:夕立のこと。漢語。

『井月句集』より3

2013/03/09(土) 21:12:44 [引用▼日本]

(招魂社)
鶯やその俤の声きかむ

花散るや鯛は好みの潮かげん

まだ咲かぬ花を噂やきのふけふ

数ならぬ身も招かれて花の宿

朝酒に夢判断や花の宿



招魂社は現在の靖国神社のこと。

数ならぬ身:とるに足らない身。
「数ならぬ身をも心の持ちがほに浮かれては又かへり来にけり」『新古今和歌集』

「夢判断」の語はこの句が初出?

『井月句集』より2

2013/03/08(金) 12:43:18 [引用▼日本]

花曇り怪家(けや)にも風のなき日かな



青条が個人的に選ぶ、本書中のベスト1。

この書の編者である国文学者は「怪家 不詳。振り仮名は底本のまま。化物細工を見せる「化物小屋」「化物茶屋」のことか。」としている。

青条の解釈は異なる。この怪家というのは、村落や町内中の空き家、蔦屋敷、ゴミ屋敷のような一軒の家ではないか。どんな村落にも一軒ぐらいはそんな家があって、周囲の人々が敬遠して噂するその家にも、春の日差しは平等に降り注ぎ、また春の曇りは平等に影は差す。この花曇は、必ずしも陰気な翳りではなく、むしろ全ての人間を無条件に等しく包み込む大いなる天候の力ではないか。

『井月句集』より1

2013/03/05(火) 23:09:11 [引用▼日本]

用のなき雪のただ降る余寒かな



余寒:立春後に残っている寒さ

井月句集 (岩波文庫)井月句集 (岩波文庫)
(2012/10/17)
井上 井月

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加藤楸邨『中国・シルクロード俳句紀行』より1

2012/12/28(金) 02:07:21 [引用▼日本]

化け茄子もくわねば熱沙越えられず

死の塔を灼きて太陽老いざりき
(ブハラでの句。罪人を突き落としたので死の塔と呼ばれているとのこと)

靴を出し種子はウズベクの鳳仙花

(カンダハル)
凧の尾に雨期の終りの沙旋風



カンダハルは、アフガニスタンの土地。アフガン戦争の時しばしばその名前を聞いた。

『加藤楸邨句集』より7

2012/11/08(木) 01:54:34 [引用▼日本]

姫はじめ餓鬼の炎を負ひつづけ

優曇華は心尖りしとき見るな

葱の香は直進し蘭の香はつつむ

大西瓜他郷の雷に鳴られおり



優曇華~、葱の香~は口語俳句として面白い。
今読んでも新しさがある。

『加藤楸邨句集』より6

2012/11/06(火) 23:20:25 [引用▼日本]

メタセコイアは白亜紀の夢冬芽もて

蟹の視野いっさい氷る青ならむ

大鴉凍てし仏頭をつかみおり

亡き友ら来やすかるべく古火鉢

薔薇に立つ過ちは誰の過ちぞ

『加藤楸邨句集』より5

2012/11/04(日) 23:03:14 [引用▼日本]

なほ焦土雪のしゅうせん(ブランコ)ひとりこぎ

※しゅうせんは(革秋+革遷)。
余りにも低知能なマイパソコンでは変換できない。

日さす葱閨中の語はみなわする

春の湖夜の氷の下明るし

蠅取れぬ蠅虎(はえとりぐも)と時過ぎぬ

青卍美濃と飛騨とへ落ちゆく水

『加藤楸邨句集』より3

2012/10/29(月) 20:51:09 [引用▼日本]

冬の月焦土に街の名がのこり

霜荒の鋭心の果て神はなし

の極月の人を見てをり寒鴉

カト足を翼のごとくふりあへる(青条注:おたまじゃくしのカトがこのPCでは入力できない)

パン種の生きてふくらむ夜の霜

『加藤楸邨句集』より2

2012/10/25(木) 12:22:30 [引用▼日本]

洋傘に顎のせて梅雨ゆくところなし

つひに戦死一匹の蟻ゆけどゆけど

生きてあれ冬の北斗の柄の下に

(石田波郷出征)
またあとに鵙は火を吐くばかりなり

蜘蛛夜々に肥えゆき月にまたがりぬ

『加藤楸邨句集』より1

2012/10/11(木) 02:25:45 [引用▼日本]

雪雲の天より暗き沼なりき

雪崩止四五戸が嶺と闘える

雪明り北陸線の夜となりぬ

外套を脱がずどこまでも考えみる

傷兵の生きて目に見る青蜜柑

『井上靖全詩集』あとがきより

2012/09/19(水) 18:57:51 [引用▼日本]

 

詩の座談会に行って殆ど例外なく感ずることは、出席者の数だけの全く異なった言葉が、お互いに無関係に飛び交っていることである。自分の言葉も他人に依って理解されないし、他人の言葉も自分にはそのまま理解できない。お互いの言葉はそれぞれ相手には受け留められないで、各自のところへ戻って行く。
 併し、これは語る者の罪ではなく、詩というものが各人にとってそれほど特殊なものであるからであろう。お互いに、お互いが持っている秘密工場の作業は結局は覗くことはできないのである。若しそこから強烈な爆弾が作られた時、初めて人々は一様に、その威力に驚嘆することで一致するだけである。私は詩とはそのようなものだと考えている。(昭和三十三年二月)

『井上靖全詩集』より「ボール」

2012/09/16(日) 12:58:51 [引用▼日本]

蹴上げられた一個のボールは、次第に高く、小さくきらりと陽に光った一瞬の静止を持った後、やがてまっすぐに落下してくる、ユニホームの群れの中に。
かくして、四月の風と光と空の蒼さの中に次々と測定され、記録されているものはなんであろう。青春の情熱であろうか。若い日の力と夢であろうか。ともあれ、これほど純粋にして清冽なる、一個の物体の上昇と下降を、君は他に見たことがあるか。

『井上靖全詩集』より「アム・ダリヤ」

2012/09/15(土) 21:55:23 [引用▼日本]

パミールのワハン渓谷の五つの水を集めて流れてきたアム・ダリヤはこの辺りではパンジュアウ(五つの水)と呼ばれている。私の立っているクンドウス河の流入する地点では、どうやらパンジュアウではなくて、アム・ダリヤの方らしい。私は五年前にアム・ダリヤの下流と、それがアラル海に収められる最後の姿を見ている。アム・ダリヤの頭と尻尾を、私は知っているのだ。対岸はソ連、低い丘に監視所の建物が見えている。パンジュアウがいつどこでアム・ダリヤになるか、それを監視しているのだ。

『井上靖全詩集』より「曉闇」

2012/09/14(金) 13:56:15 [引用▼日本]

一日のうちで、この時刻だけ海は死んでいる。海の死骸を見るために、夜露の雫が落ちている赤松の林をぬけて行く。足もとはまだ暗い。寝みだれた浜木綿の株の根もとに立つ。あわただしく息を引き取った浜へ降りて行く。小屋がけのヨシズはめくれあがり、ボートは飛び散っている。その向こうに青黒い海が大きな身を横たえている。水平線のあたりに微かに明方の光が走り、完全に息絶えた海を包んでいる。渚に打ち揚げられた貝と海草を踏んで行く。渚もまた死んでいる。一日のうちで、暁闇の立ちこめているこの時刻だけ海は死んでいる。

『井上靖全詩集』より「沙漠の街」

2012/09/13(木) 19:34:37 [引用▼日本]

かつて何かの書物で読んだように、汝は地上に於ける神の影だと、その征服者の墓石には刻まれてあった。沙漠の国に来てみると、この言葉はさして大袈裟にも、気障にも響かない。これが賛辞であるかさえも甚だ怪しいものだ。忌憚なく言うなら、恐らくこれは呪言だろう。沙漠の征服者はこの言葉によって、いまも眠り続けているのである。征服者ばかりでなく、この街も亦それから自由にはなっていない。雑多な人種がわめきちらしているバザアルの騒擾の中に立てば、それがよく判る。

『井上靖全詩集』より「六月」

2012/09/12(水) 13:26:49 [引用▼日本]

海の青が薄くなると、それだけ、空の青が濃くなってゆく。

街に青のスーツが目立ってくる。それに従って、山野の青が消えてゆくのだ。

六月――、移動する青の一族。その隊列を横切るために、私は旅に出なければならぬ。

『井上靖全詩集』より「十月の詩」

2012/09/10(月) 10:25:12 [引用▼日本]

はるか南の珊瑚礁の中で、今年二十何番目かの台風の子供たちが孵化しています。

やがて彼等は、石灰質の砲身から北に向かって発射されるでしょう。

そのころ、日本列島はおおむね月明です。刻一刻秋は深まり、どこかで、謙譲という文字を少年が書いています。

『井上靖全詩集』より「裸梢園」

2012/09/04(火) 19:07:35 [引用▼日本]

梢と梢とは、刃の如く噛み合って、底知れない谷を拡げていた。そこはいつも冷たい爽昧時であった。そこには、鴉の骨があちこちに散らばって、時折、その上を氷雨がぱらぱらと過ぎて行った。耳をすますと、いつも、乱れた幾多の足音が遠のいて行った。破れ傷ついた二月の隊列が、あてどなく落ちて行くのだ。



 現代詩の文脈では余り評価されていないのかもしれないが、井上靖の散文詩は私を強く励ましてくれる。散文に拠って自らの内面を表現する時の、一つの見本を示してくれているとまで思う。技法や理論の巧拙や高下は問題ではない。その率直さ、明晰さ、勇敢さに、強く励まされる。

『碧梧桐俳句集』より3

2012/07/10(火) 22:21:03 [引用▼日本]

芥子咲く家へ山下がりての瀦水見る

家が建った農園のコスモスはもう見えない



瀦水:水たまり

コスモスの句は、プレ自由律俳句。
一時期井泉水の同盟者であった碧梧桐の一面を示す。

『碧悟桐俳句集』より2

2012/06/12(火) 22:31:07 [引用▼日本]

横へし朝の反身や鮎三尾

宝物の鬼気も蝕む秋の風

蟹とれば蝦も手に飛ぶ涼しさよ

木蓮が蘇鉄の側に咲くところ

カラ梅雨の旅しきぬこの蚊雷や



「木蓮~」の句は南方熊楠に逢った時の印象。
可憐なものと無骨なものとの対比が、
この博物学者の内面と相貌とを表しているようだ。

『碧梧桐俳句集』より1

2012/05/30(水) 23:29:49 [引用▼日本]

ボウフラや天水桶に魚放つ

河骨の花に集まる目高かな

人を見て蟹逃足の潮干かな

軒落ちし雪窮巷を塞ぎけり

幽叢に白く全き蛇の衣



窮巷:行きどまりになった路地
幽叢:奥深い叢

蔵原伸二郎「昨日の映像」

2012/04/02(月) 17:27:04 [引用▼日本]

意識を失いかけたカマキリは
斧を地平線の上に ふりあげたまま
走る雲を ながめたまま
枯草のてっぺんにしがみついたまま
枯草がゆれるとカマキリもゆれる

その青ガラスの瞳に映っているのは
残照にかがやく地平線
小さなシジミ蝶の小さな斑紋
遠くでゆれているアザミの花

それらはすべて昨日の映像のままだ



西原前掲著より

「窪田空穂歌集」より16

2012/03/28(水) 17:47:19 [引用▼日本]

目白台北の傾斜の雑司ヶ谷細き路地ありその奥に住む

尽未来際といふ語あり現在に生くる人間の久しも

二十三の北条時宗「莫妄想」と一喝せられて大事定まりぬ

純白の円き花びら群れはなれ落ちゆくさまの静かさを見よ

のがれゆく冬の袖よりほろほろこぼる。ほろほろと白くこぼるる。雪のこぼるる。



尽未来際:仏教用語。未来の果ての尽きるまで。未来永劫。
莫妄想:仏教用語。禅語。虚妄の観念にとらわれるなかれ。(ここで言う「妄想」は現代の意味とは異なる)

「窪田空穂歌集」より15

2012/03/26(月) 21:51:18 [引用▼日本]

日本人捕虜の墓

一穴に五遺体を埋め番号を記して墓とす犬猫ならぬを

敗戦の敵意を我に宣しては捕虜を殺せるソ連とは何ぞ

子が遺骨その国の土と化しゆくをソ連にいだく怒りは解けず

兵として死ねる子が墓なくもがなイルクーツクにありて悲しき

イルクーツクに子が墓ありと聞きし時見んとおもひき諦めぬ今は

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