中野新橋

2009/03/19(木) 01:14:44 [【シリーズ】山手線から三駅目]

東京地下鉄丸ノ内線の支線の車両が、
東京メトロ中野坂上駅の両側開きのホームに入線して来る。
丸ノ内線本線の上り新宿方面と、
下り荻窪方面の双方への乗り換えがスムーズにいくように、
ホーム間の位置関係は考慮されているのであろう。
三両編成の、
やや古びた雰囲気の車両で運行されているこの支線は、
朝夕の時間帯だけは、本線との乗り入れを行っているのだが、
日中は中野坂上と杉並区の方南町の間を往復するだけだ。
本線との接続を行うためか、
その待ち時間は、都心の鉄道としては結構長い。

中野坂上から一駅目、中野新橋駅の出口は一つしかない。
驚いたことに、駅構内のトイレは男女共用だ。



その一つしかない出口を出ると、
片側一車線のこじんまりとした車道の両側に
やはりこじんまりとした繁華街が存在する。
駅前にあるのは、ブックオフではなくブックマートだ。
こんな小さな駅の近くにも、
パチンコ屋が確実に存在しているのはあんまり愉快なことではない。

北側に向かってすぐの所を、神田川が流れている。
ここにかかっている橋が、駅名の由来の新橋だ。
その欄干は、和風の装飾を施されている。

橋の上から東側を望むと、
神田川の先に新宿副都心の高層ビル群がそびえたっている。
今は工事用の重機が視界の妨げとなっているため
完全なものではないが、
その通景はなかなか鮮やかだ。



高楼と
溝渠
交互に眺めつつ
直線上に連なりてあり



この街では神田川だけではなく、
東に向かって伸びる道路ならどこでもこの高層ビルが
視界に入ってくる。
中野区の本質は、
地理的にも経済圏的にも新宿の植民地であることが
実感できる風景である。

しかし、この位置からだと、
昨秋竣工したあの特異なフォルムの、
モード学園コクーンタワーは都庁などの裏側になってしまい
観察出来ない。

洪水防止工事のため、神田川の水は濁っている。

川を渡ってさらに北側の、
青梅街道や新中野、中野坂上に連なる道は登り坂になっている。
つまりは、この中野新橋付近は、
神田川が造った谷の底に当たっているのだろう。
神田川が削った低地に位置する中野新橋と、
台地上の新中野の関係は、
同じく神田川が造った谷である高田馬場と
高台である目白との関係に少し似ている。



神田川刻みし低地のこの街の
モスラの羽化は見えない橋上



駅から南側もやはり登り坂になっている。
住宅地を何と無く歩いていると、
街並自体にはほとんど何の変化も無いのに、
いつの間にか渋谷区に入り込んでしまったりする。

南東方向には、やや背が高い直方体の構造物がある。
二十三区に一つずつ建設されている、
例のゴミ処理施設の煙突にしては低いし、
複数本あるのも妙だと思って、
正体を確かめようと近づいて行くと、
山手通りに出てしまう。
首都高山手トンネルの排気口であった。



本郷通りという、東西に走る道路沿いに、
渡嘉敷ボクシングジムを見つけた。
また駅前の蕎麦屋で昼食を摂ったついでに尋ねると、
大相撲の貴乃花部屋があると言うので探してみた。
地元の通行人に聞いて、
普通の二階建て住宅と三階建てのペンシル住宅が混在する
住宅街の中を歩き回ってやっと見つける。
特に目立つ建築物でもないので、
何度かその前を気付かずに通り過ぎてしまった。

神田川沿いにコンクリート打ちっぱなしの神社があった。

ベビーカーを押した若い母親と、
小学生ぐらいの子供の姿が多い。
家々の庭木に、雀やメジロの長閑な姿が観察される。

三月中旬にしてはかなり暖かい春の日に、
蜜柑の木を手入れしている家がある。
大量の夏蜜柑が道に転がされている。



三月の路上に
蜜柑の摘果され
今年の桜は早いと聞かされ



帰りの中野新橋駅で、
そのホームの急カーブに初めて気づく。
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新中野

2008/12/21(日) 01:26:34 [【シリーズ】山手線から三駅目]

新宿以西の丸ノ内線青梅街道の地下を走っているが、
その青梅街道中野通りの交差点付近に設けられた駅が
新中野だ。
JRの中野から見て、南側にあたる。

幹線道路に沿った地下鉄駅に共通のことだが、
この駅自体は、周囲の景観にはほぼ何も影響を与えていない。
地上に出ると、黄金に染まった銀杏の並木が迎えてくれるが、
基本的には、何のメルクマールもない、
雑居ビルと集合住宅が混在する平凡な市街地の風景だ。



江戸時代の川越街道がそのまま商店街として残っている大山や、
幹線道路となっている現在の中山道と、
商店街になっている旧中山道が棲み分けを行っている
板橋区役所前とは異なり、
新中野周辺は青梅街道がそのまま現代の自動車道になっているために、
このような景観になっているのだろう。

新宿側の交差点から南に向かう一車線道路の両側に、
商店街が伸びている。
鍋屋横丁、略称鍋横というらしい。
何やら由緒のある地名だが、その由来はわからない。
そのような地名が残されているのだったら「新中野」などと名付けずに、
それを駅名にすれば良いのにと思うのだが。
鍋屋横丁の奥には、やはりそれなりに歴史的な出自がありそうな、
十貫坂上という地名もある。
もったいない。

鍋屋横丁の蕎麦屋の店内では、
バンドマンらしき中年のカップルが、
今回のチケットは何枚売れたかとか、
どこのライブハウスが良いとかという、
いかにもギョーカイ人っぽい会話をしている。
この辺は、中央線沿線サブカル文化圏の影響を色濃く感じる。
店員によるとこの蕎麦屋は、神田「まつや」の直系であるという。
その隣には、つけ麺で有名な池袋大勝軒を名乗ったラーメン屋があるが、
これもその直系だろうか?



「東西南北中武蔵(美園)」という言葉がある。
これはJR浦和駅の周辺の駅の名前を揶揄したもので、
元々何も無い所に街を作って駅を作ったので、
命名に窮して何の個性もない無機質な駅名ばかりが並ぶことになったのを
指摘したものである。
類似の言葉に、千葉県の船橋駅周辺を揶揄した
「東西新法典京成」がある。

これと同様に、中野近辺の駅名を揶揄するのなら
「東新坂上富士見新橋」とでもなるのだろうか?
もちろん現在の中野区は、
埼玉の浦和や千葉の船橋といった郊外とは異なる立地にあるのだが、
しかしこれらの駅名を見ると、
中野もまた、元々は何もなかった場所なのだなあということが感じられる。
そう言えば町名を見ても「中央」とか「本町」とかばかりだ。

江戸から姿を変えた近代都市としての東京において、
中野辺りは最も早く登場した郊外的空間なのかも知れない。
(いや、そもそも中野の「宗主国」である新宿こそが、
東京府の最初の郊外的空間なのかも。
「東西南西武西口三丁目」……。)



青梅街道に沿ってギャラリーが数軒あり、
女子美大生の作品などを展示しているが、
これもやはり中央線文化圏の影響だろうか?

この地域から北は、中野に向けての下り坂、
東と南はおそらく神田川に向かってのやはり下り坂になっている。
つまりこの街は、そこそこの高台に位置している。
その狭い路地が錯綜した住宅街を、
電動自転車に牽引されたクロネコヤマトの緑色のリヤカーが行く。
豆腐屋の人力リヤカーの人も
冬至の近い冬の早い夕暮れに笛を吹いて
客を集め始める。

中野

2008/12/04(木) 01:32:17 [【シリーズ】山手線から三駅目]

JR中央線・中央緩行線・地下鉄東西線の
計八本のホームが整然と並んだ中野駅の北口を出ると、
こじんまりとしたバスターミナルに、
発車時刻を待つ関東バスの赤い車体が
やはりこれも綺麗に整列している。
ターミナルの向こうは商店街、
中野サンモールが一直線に伸びて
中野ブロードウェイにまで続いている。

その入口の文明堂からカステラの甘い匂いが漂う。
商店街のみならず、
飲食店の分布する路地裏までもが
ほぼ垂直の碁盤目状に張り巡らされている。
この理路整然とした区画と、
ラーメン屋の種類と数の多さこそが、
中野駅北側の景観の最大の特徴となっている。
サンモールブロードウェイも良く賑わっている。



ブロードウェイには、1階から直接3階に繋がる変なエスカレーター、
そしてその3階にはかの「まんだらけ」がある。
有明や秋葉原が世界的に認められたオタクの聖地ならば、
東池袋やここ中野はいわばオタクの秘境なのだ。
とは言っても、近年のオタク文化の一般化、大衆化を反映してか、
ここ3階のマンガ店などは、
以前よりもずいぶん明るく清潔な雰囲気になっている。
ひところなどは万引き防止のために、
入店者は鞄をカウンターに預けなければならなかったのだが……。
店員もヘンチクリンなコスプレはしていないようだ。

まんだらけに代表されるいわゆるオタク文化系のショップ以外にも、
この階にはマニアックなCDショップや書店などが揃っているが、
カルチャー系のテナントを集めたフロアとして、
さほど奇異な印象は受けない。

タコシェも健在だ。

4階に上がる。
まんだらけの店舗も、この階に上がるととたんにディープさを増し、
吾妻ひでおのマンガに出て来る医者に似ている、
マスクを着けた怪しい雰囲気の店員が座っていたりする。
精神世界関連書籍の専門店。
その過半のシャッターが常に閉じられている最奥部に位置する
占い関係のテナント。
いつ来ても真正の瘴気、真正の禍々しさが濃厚に漂うフロアだ。
白く照らされた回廊の、明るい闇に狂気が潜む。
普通人が長居するべき空間ではない。

西友が入っている地下一階は、
生活の匂いがする、健康的でごく親しみやすいエリアだ。
サンモール的な、庶民の生活世界の延長である。
八百屋、魚屋、靴屋、雑貨屋、
フィリピンショップ

フィリピンショップ
フィリピン産の食料品などが並べられているその店内を覗くと、
フィリピン人の若い女性が携帯電話をいじりながら
口先だけで「イラッシャイマセ」と言う。
こちらをチラリとも見ない。
ここは日本だぞ。やる気がないにもほどがありすぎる……。

この階の最南端には、やはり何故か占いの店。
そして、二階のお好み焼屋に掲げられているのは、
まごうことなき、ニセトリコロール、
すなわち創価学会の三色旗!

ブロードウェイの4階的な、現実世界から最も遊離した
精神世界、オカルトワールド。
その偽りの世界理論、歪んだ世界解釈、
イミテーションとしての「聖なる天蓋」からは、
本来最も遠いはずの商店街的な庶民の生活世界の中にも、
いつの間にか奴らは侵入してくる。
そう言えば、テレビでは最近オカルト番組がなんだか多いなぁ……。

円環する世界解釈の構造全体がこのブロードウェイのビルには
凝縮されているのかも知れない。
しかしそもそも、何故、どこがどのへんが
ブロードウェイ」なのかはいくら歩きまわってもさっぱりわからない。



南口の、やはりコンパクトにまとまったバスターミナルには、
京王バスがやはり順序良く入ってはまた出ていく。
バス会社同士の守備範囲もこの街は秩序良く整理されているのだろうか。
丸井があった場所は完全に更地になっていて、
今度新しく店舗を立て直すのだという。

この南側は、中野中央郵便局、中野総合病院、官舎、
中野ZERO、もみじ山公園といった、
大規模な公共施設がかなりの面積を占めている。
冬の夕方になるともう薄暗く人通りも多くないようだ。
北口にもファミリーロードという繁華街があるが、
坂道を登りながら東側に曲がっている。
見通しも良くなく、またそれほど大きくもない。
フィリピンパブがある。

中野通りが通る、駅の北と南を結ぶガード下には
ネズミ対策キャンペーンの掲示が何枚も貼られている。
ドブネズミとクマネズミの生態の違いまで詳細に解説してある。



この駅から出る上り電車は、
中野始発のものと三鷹から来るものとで
発車ホームが異なっており、
先行発車する電車が実は今いるホームのものではないことに、
後から気付いたりする。
ところが、ホーム間の連絡通路は新宿寄りに一本しかなく、
しばしば人は非常に慌てることになる。
不親切である。

新井薬師前と新井薬師

2008/11/11(火) 02:21:32 [【シリーズ】山手線から三駅目]

下落合の駅を発車してすぐに、
私の知っている風景が既に存在しない事に気づく。
ガクトが、ない!
ガクトとは、内外学生情報センター、
かつて下落合駅前にあった、
学生向けのアルバイトと下宿を紹介する施設である。
それが完全に更地になっている。
私は学生時代に、
それほどこの施設のバイト情報を利用したわけではなく、
特に寂しいと言うほどのものでもないのだが、
それでも抗いがたい時代の流れというか、
ある種の感慨を少しばかり感じる。



新井薬師前駅のホームはかなりカーブしている。
東武東上線の、大山と同じだ。
現在日本シリーズを闘っている、
埼玉西武ライオンズの宣伝と応援のポスターが、
駅構内のあちこちに貼られている。
西武鉄道の駅は今、どこでもそうなのだろう。
出口は、所沢寄りに線路を挟んで、北口と南口が在る。
高田馬場寄りには何も無い。

南口の駅前には、申し訳程度の広場がある。
街中に足を一歩踏み入れれば、
そこはすぐに昭和の香りを色濃く残す路地裏だ。
駅前≒路地裏。
西武新宿線的な、千篇一律の駅前の風景がここにもある。
まあ、これを見ると、沿線開発やブランド策定戦略において、
西武文化が完全に東急文化の後塵を拝するのはむべなるかなと
思わざるを得ないが、
反面、そのことによってこの沿線は
気取らない生活の街としての実質を備え、
特に貧乏学生にとっては住みやすいものとなっている。

駅から新宿方面に歩くと、やがて下り坂になっているのが見える。
北の哲学堂方面も、やはり下り坂で、
西の所沢方面も下り坂だ。
この駅を中心とした一帯は、実はそれなりの高台の上にある。
そのことに由来するのか、そう言えば地名も上高田だ。

片側一車線の道路を、南に向って歩くと、
あまり上品とは言えない鳥の鳴き声が聞こえて来る。
ガラの悪い鳥屋がある。
店を覗くと、煙草をくわえた不潔な身なりの店番の男が
声をかけて来る。
ただ見ているだけだと答えると、
冷やかしかと不機嫌そうに誰に聞かせるでもなく呟く。



何となく歩いていると、公園があったのでそのまま入って行く。
その中を進んで行くと、何時の間にか寺院の敷地内に
裏口から入ってしまったようだ。
あれ、ここがもう新井薬師か。
幽邃な所が全く感じられず、余り聖域といった感じもしない。
がっかりだ。
ヒヨドリばかりがさっきからうるさく鳴いている。

新井薬師の正面参道には、それでもスクランブル交差点などがある。
不必要。
さらに南の、中野側に向けて商店街が続き、
早稲田通りにまで繋がっているようだ。
狭い道を赤いバスが通る。



霜月の上高田舞うクロアゲハ



住宅地のアンテナに一眼レフのカメラを向けているベレー帽の老人が居る。
写真家で、鳥の写真を狙っているのだという。
今は、チョウビタキが止まっているというので、
何の事かと思って良く聞くとジョウビタキの事だった。
濁音の発音が不如意な所から、シナか朝鮮の人だと思われる。
近くのアパートに住んでいると言って、
大きくプリントしたアリスイと猫の写真を持って来て見せてくれた。
光る猫の眼のエメラルドが確かに美しく取れている。

この辺りは、住宅地にしてはずいぶんと色んな鳥がいるようだが、
やはり近くの哲学堂に棲んでいるものだろうか?
この街の東側の斜面にかけても、
鳥が住めそうな森を持った神社仏閣が幾つか見られる。



駅の南口を改めて見ると、インド料理屋の数が随分多い。
これは、インド大使公邸を擁する高田馬場文化圏の影響だろうか?
北口にはイラン料理屋が一軒ある。

柿の木も多い。

赤羽

2008/10/25(土) 02:05:16 [【シリーズ】山手線から三駅目]

8番線まであるJRのホームが、
乱れることなく理路整然と端を揃えて並んでいる。
後から作られた埼京線のホームだけが
著しく南側に離れている新宿や渋谷とは明らかに異なっている。
JRの上りの特急が律儀に停車する一方、
東武に直通して日光方面まで行く下りの特急は通過していくのは、
北千住と反対の関係になっている。
北口も南口も駅ナカが著しい繁栄を見せ、無印良品まで存在しているのは、
新幹線が走る高架上高架のために、
駅ビルの建設が不可能なことの代替的な機能もあるのだろう。
赤羽駅。
その特異な立地条件により、独特の相貌を見せる、
首都最北の巨大駅である。



西口には巨大なイトーヨーカドーがある。
これはパルロードと名付けられた3棟の商業ビルのⅡに該当するもので、
デパートではなくスーパーである所が、
生活者の街であることを感じさせる。
入口付近の休憩所は老人達のたまり場になっていて、
自動販売機で買った17アイスを老爺が一人舐めている。
イトーヨーカドーの隣にはループ館と名付けられた
巨大な立体駐車場が立っている。

美術的な装飾が施された赤羽台トンネルの、
その脇の歩道を登ると、広大な団地となっている。
赤羽の場合は、台地側が団地地区となって、
平地側が一戸建ての地区となっているが、
これは一駅手前の東十条とは正反対である。
この団地は住居棟の世代交代も盛んらしく、
立ち並ぶ棟々の中に、柵に囲まれた広大な空地が存在し
建て替え工事が行われている。

赤羽は、北関東の端緒部である。
それは、宇都宮線高崎線湘南新宿ラインの合流地点という
意味合いにおいてだけではない。
大型デパートと、クルマ中心のライフスタイルと
機能性にのみ基づいて分割・規定された空間の気配が、
関東平野の幹線道路に沿って版図を広げる
ロードサイドショップを思わせ、
またそれらによって浸食された郊外化社会を連想させるのである。

他方、ターミナル駅としては、赤羽駅は甚だ不完全でもある。
新幹線が停車しないこと、
将来においてもその可能性がほとんどないこと、
私鉄デパート文化が存在しないこと、
そして上り電車の全てが池袋か上野に収斂され、
下り電車は全て大宮に停車するものであり、
その本質が、途中駅でしかないこと。
そのような赤羽駅の欠落は全て、
中長距離路線の分岐駅として完全な機能を保有している
大宮の存在と対照を成すものであり、
そうであるからこそ、鉄道の街である大宮には
現在鉄道博物館が置かれているのである。



駅・線路ともに完全に高架化され、
その下を複数の道路が通っているため
赤羽の東西の連絡は、
鶯谷から東十条まで続く一連の台地下駅ほどには悪くは無い。

東口には雑居ビルが立ち並び、
またLaLaガーデンという巨大アーケードが一直線に伸びている。
レコード屋の店頭で野中彩央里という、
聞いたことのない中年の演歌歌手がプロモーションを行っており、
挨拶の後持ち歌を歌い始める。
老人達が人垣をなす。
歌声はかなり遠くまで聞こえる。

行き止まりは、志茂すずらん通りという
うってかわって小さな商店街に続いている。

この東口にはスクランブル交差点もあったりして、
北区のくせに生意気だ。
ドラマの撮影までしている。

東口の北の赤羽一番街は普通の下町の商店街だが、
LaLaガーデンと比較すると何だか閑散としている。
鯉こくや鯉のあらいを出している、
まるます屋という店が印象に残る。

ブックオフを見つけた。

東十条

2008/10/06(月) 03:26:34 [【シリーズ】山手線から三駅目]

内・外回り二本の山手線のレールが
それぞれに離脱して上空を通過する一方で、
新たに湘南新宿ラインと合流しながら、
京浜東北線は田端より北上して行く。
右手にはもちろん、東北新幹線の突兀たる高架が
一貫してその存在を誇示し続ける。

東十条駅の構造には奇妙な所がある。
東京・横浜方面の列車が利用するレールが二本あるのだが、
そのうち一本は、左右両面にホームがあるのだ。
おそらくは、この駅が始発・終着駅となっている
車両のためのものだろう。
新幹線の高架下には駐輪場が広がっている。



東十条駅の西側は高台になっている。
北口から西に折れると、
緩やかな上り坂になった狭い路地に立ち並ぶ
居酒屋や焼鳥屋の赤ちょうちんが出迎える。
突き当たりの幹線道路も片側一車線で、
歩道もなく窮屈だ。

緩くカーブした演芸場通りには、
その名の通り「篠原演芸場」がある。
今は「藤美一座」という大衆演劇の公演をやっているようで、
何流かまではわからないが、
江戸文字で書かれた幟が何本も立っている。
バブル経済以前の、まさしく昭和の風景が残されている。

少し歩くと踏切の音が聞こえ、
埼京線の十条駅前に出てしまう。
この踏切を渡った所にある商店街の賑わいは平成のそれだ。



跨線橋から、趣向をこらしたデザインの階段を降り、
標高が急激に低くなっている東十条の東側に出る。
王子五丁目団地の方向にまっすぐに伸びる東十条商店街は、
万国旗が飾られ、BGMもかかり、
活気に満ち気さくな下町の商店街の賑わいが続く。
買い物客で絡繹とする夕方の時間帯には
入口に車止めが設置され、車両通行禁止となる。
万国旗は良く見ると、
いわゆるG7の国旗にスウェーデンのモノが混ざって
全部で八種類の旗の反復であるのだが、
どうしてスウェーデンなのか理由は全くわからない。
この商店街には古本屋などもあって、
中々住みやすそうである。

大規模な団地を擁しているためか、
幼稚園・保育園の数が特に多い。



京浜東北線・東北本線・貨物線に
新幹線の高架までが通る一連の極太な鉄道線路のために、
東十条はその東と西で完全に分断され、
全く別個の街となっている。
これは、鶯谷以北の京浜東北線駅において、
共通して観察される現象ではあるが、
東十条はこれらの線路に加えて車両基地まで擁しているために、
東西の懸隔は殊更に大きい。
そもそも京浜東北線の走行ルートは、
武蔵野台地の崖線にほぼ沿った形で敷設されたものであり、
遡れば自然地理上の必然に基づいて、
これらの街の姿は規定されているのだと言える。

紙の輸送には、21世紀の現代においても、
貨物列車を現役で利用しているらしく、
王子五丁目団地と東十条駅の間には
日本製紙が所有する貨物駅がある。
秋の日は落ちるのが早い。
既に夜間照明で照らされたその構内を金網越しに覗いてみると、
巨大な紙ロールが積まれたプラットホームの上を、
不必要に張り切って
猛スピードで疾走するフォークリフトの姿が確認できる。

王子神谷

2008/09/17(水) 02:35:14 [【シリーズ】山手線から三駅目]

全面閉鎖式の南北線のホームドアをくぐって降り立った
王子神谷の駅前からまず見える風景は、
団地、ファミレス、幹線道路である。
とにかく団地が多い。
ひたすら団地ばかりだ。
ダンチダンチダンチ!

その名の通り、
入口に小さな庚申塚が祭られている庚申通り商店街は、
夕暮れ時なのに全く活気がない。
ただ陰鬱とした空気だけが漂っている。
シャッター通りである。
その北側にはやはり団地があるが、
老人の姿ばかり多いように感じる。

ただ、この狭い通りを時折バスが通るので、
緑のおばちゃんはきちんと仕事をしているようだ。

狐が出そうな雰囲気はない。

公明党の太田現代表のポスターが時々貼られている。

商店街からそれて隅田川にかかる新田橋を渡ると、
そこは足立区でも辺境に当たる新田である。
相変わらずうらぶれた雰囲気の商店街が続く。
川に沿って南に歩くと、
新しい公園と公立の小中一貫校が建設途中の、
広大な工事現場がある。

一つ下流側の新豊橋は、赤いアーチを持った都会的なデザインだ。
隅田川のこの辺は、激しく曲がりくねっていて、
南側の風景は余り良く見通せない。
ただ足立区側に走る首都高の高架だけが良く見える。

一つ上流側の新神谷橋は、幹線道路を走る自動車のための橋で、
歩行者や自転車は、
幾重にも折り重なった階段を昇ってようやく歩道にまで辿り着く。
この構造は、荒川にかかる日光街道の、千住新橋に似ている。

大山や板橋区役所前と異なり、
近世以来の交通路としての歴史を持たない街というのは、
やはり劣化が急速なのだろうか?
この辺ならば街道よりも隅田川を利用した水運の方が
むしろ盛んであったのかも知れない。
新田」「新豊橋」「新神谷橋」と地名や橋梁に
「新」の字が目立つ所が、
この一帯の陸運の歴史の浅さや、
開発の新しさを示しているように感じられる。
地理的条件を見ると、水害も多そうだ。
考えてみれば、南北線が開通したのも平成になってからだ。

この地域には、
食品サービスのなとりと、
家具・インテリアのニトリの両方の社屋がある。
なとりとニトリが、もし
ナトリとにとりだったら非常な違和感があるなと
何の脈絡もなくふと思う。



隅田川なとりとニトリのある水辺



高校生らしきカップルが自転車で行く。
……日本語を喋っていない!!

板橋区役所前と板橋宿

2008/08/16(土) 01:08:54 [【シリーズ】山手線から三駅目]

中山道の直下を走る都営三田線板橋区役所前駅は、
地下鉄駅としては割と浅く、
駅名の示す通り、出口が板橋区役所と直結している。
板橋区役所のあるエリアは、
中山道と山手通りの分岐点に位置し、
首都高の高架に三角状に取り囲まれている。
空が見えない、非常に圧迫感を感じる空間だ。

自動車の通る幹線道路である現中山道の東側に沿って、
江戸時代の街道であった旧中山道が商店街として残っている。
新庚申塚の近辺とは、東西の位置関係が逆である。
板橋宿の入口に在る寺院の境内には、
庚申塚が残されている。
この商店街は、昔は江戸四宿のひとつ、
板橋宿として栄えた所らしい。
今も区役所や、幹線道路や首都高の分岐点がある事を考えると、
交通の要衝としての性格は
それなりに時代を超えて保持されていると言えるかも知れない。

ただ、宿場町は様々な文化をもたらすが、
高速道路は排気ガスと事故の可能性以外の何物ももたらさない。

板橋観光センター」という施設の親切な老齢の係員が、
歴史的なトピックを色々と話してくれる。
(こういう施設は、同じく四宿の北千住には無かったと思う。)
この辺りは加賀藩の下屋敷があって、
それにちなんだ町名や学校名が多いと言うこと。
かつて中山道を通ってラクダ板橋宿に来たこと。
大山のハッピーロードは昔の川越街道であること。
板橋区の西側は、練馬区に連なる台地の一部で畑作が盛ん、
北区に隣接する東側はいわゆる下町の、
低地帯の一部に属するという地理的知識。

果たしてその言の通り、
北区方面に伸びる王子新道という道は、
緩やかな下り坂が長くどこまでも続いている。
石神井川と交差する場所にある加賀公園は工事中で、
カラスと蝉の声だけが幾重にも折り重なって来る。
石神井川は完全にコンクリートで固められ、
深くて汚い。

地名の由来となった板橋が、石神井川にかかっている。
欄干を旧風に装ってはいるが、
コンクリ造りでさしたる趣きもない。
幹線道路を渡す新板橋は殺風景でもっと味気ない。

昔の板橋宿とはいっても、
当時の建築物が残っているわけでもなく、
ペンシル住宅や立体駐車場やスーパーが多い
ごく普通の商店街だ。
ただ銭湯や昔ながらのおもちゃ屋がまだ残っている所などは、
江戸情緒ではなくむしろ昭和レトロを感じさせ悪くない。
おもちゃ屋では、初代ゲームボーイやスーパーファミコンのソフトが
中古ではなく新品として売られている。



ペルシアより中山道をはるばると
旅のラクダが砂塵を運ぶ



江戸っ子のエキゾチズムの有り所
板橋宿ラクダ見物



何思う? 見世物となれる大陸の
ラクダよ。江戸のジパングを見て

新庚申塚と庚申塚

2008/08/08(金) 02:16:03 [【シリーズ】山手線から三駅目]

都電荒川線新庚申塚停留所は、
白山通りを挟んで上りと下りのホームが反対側にある。
近辺には、名称からしてレトロな雰囲気を漂わせる
「やすらぎの湯 ニュー椿」なる温泉施設があるぐらいで、
他に目立つものは何も無い。
民俗学的な由緒を感じさせる駅名とは裏腹に、
白山通りの沿道には、
塚ではなくマンションばかりが立ち並ぶ。
殺風景だ。
沿道の店で食事をしていても、
自動車の通る音が良く聞こえてしまう。

看板によると、
白山通りは電線地中化工事を計画しているらしい。
それが悪いとは思わないが、
電線だけではなく、
むしろ幹線道路自体を地中化するべきではないか。

新庚申塚都営三田線の西巣鴨駅と接続していると
アナウンスされているが、
西巣鴨白山通り明治通りの交差点にあり、
実は結構歩く。
この交差点からは、首都高の高架の姿も見える。

西ヶ原の方には、寺がたくさん集まっている一帯があるが、
その建物も何だかマンションっぽくなっていて、
あまり有り難味が無い。
墓地はあるが、肝心の緑地が無い。
緑の不足しがちな都市部にあって、
寺社林を保全するのが、
地域社会における寺のひとつの役割だと思うのだが。
宗教法人として、税制上の優遇措置を受けているのだから
それぐらいはしてくれても仏罰は当たらないだろうが。

一方、住宅街を大塚方面に少し歩くと、
すぐに庚申塚停留所についてしまう。
この停留所は、駅の構内におはぎ屋さんがあり、
かつ公衆便所まで完備しているという、
都電停留所としては中々豪華な造りになっている。
おはぎ屋という所が、何だか下町っぽくて良い。

巣鴨にまで続いているらしい駅前の商店街は、
昔の中山道だということだ。
駅名の由来となった庚申塚もその一隅に、
こじんまりとはしているがきちんと祭られている。

昔の街道が商店街としてその姿をとどめる一方で、
そこから少し離れた街外れに自動車用の幹線道路が通るという
いわば棲み分けがなされている街の構造は、
北千住における、
旧日光街道と現日光街道の関係に類似しているものがある。

大山

2008/07/12(土) 23:57:46 [【シリーズ】山手線から三駅目]

かなりの急角度でカーブしたプラットホームに降りて
駅の南口に出ると、
親しみやすい商店街の雑踏が迎えてくれる。
駅前ではこの暑い中に動物の着ぐるみを被って、
どこかの店の店員がチラシを配っている。

アーケードに覆われた商店街は存外に長くて奥行きがある。
ハッピーロードと言うらしい。
屋根のおかげで、視界から電線が排除されているのは、
景観形成上好ましい。
通りには昔ながらの八百屋や中華料理屋と、
ファストフードや100均ショップが上手い具合に混在して、
活気に溢れている。
そしてママチャリの群れ。
気取らない生活の匂いが濃厚に漂う。
また商店街の並びには、
時々狭い路地が控え目な佇まいで口を空けていて、
その奥には、昭和の香りを漂わせる
一杯飲み屋やスナックの古びた看板が待っている。

商店街を一台のトラックがのろのろと通る。
そのせいで人と自転車の流れが遮られ、
時ならぬ大渋滞を引き起こしている。
まったくこんな所を通るからだと、
オバチャンがそばに居た私に向って愚痴を言う。
この道にはいつもこんな車が通るのかと聞いたら、
いやそんな事はないと答える。

鉄道が高架化されておらず
いまも踏切が残っている所が、
地理的には武蔵野大地の上、
山手に位置する東武西武沿線の町並みを、
ことさらに下町っぽいものに見せている。
かの京成ですら、
新三河島や千住大橋の辺りは高架化しているというのに。
この大山も、
地下鉄駅と地上駅の違いはあるとは言え、
小竹向原とは余りにも異なる街の風景が広がっている。
同じ「池袋から3駅目」であるにも関わらず。

ディスカウントストアの店頭で、
麦藁帽子が安売りされているのを見つける。
980円。
安い。
頑丈そうで、実用的っぽい。
麦藁帽子は以前から探していたが、
ファッション性重視のものばかりで、
中々満足するものが見つからなかった所だ。
かぶってみると丁度良い。
前側の部分がやや広く作られているそのツバに、
ホームを通過する急行電車が起こした風が当たると、
目深にかぶった帽子が少し後ろにずり下がる。
電車が二本通過したその後で、
ようやく各駅停車がやって来る。

ボトルネック小竹向原

2008/06/29(日) 01:46:33 [【シリーズ】山手線から三駅目]

東武東上線及び西武池袋線と、
東京メトロ有楽町線と同副都心線
それぞれ平面交差して乗り入れる複雑な構造のために、
小竹向原駅は副都心線の運行開始から数日間は
ダイヤの乱れの原因として名指しされていた。
このそれぞれに急行列車まであることが、
事態を余計にややこしくしていた。

しかし基本的には、ごく普通の地下鉄駅である。
ザリっとした風合いの、
茶色のベンチの佇まいが少し珍しい以外には、
話題になりそうな事象は何も見出すことが出来ない。



要町や千川と異なり、
駅近辺の幹線道路はかなりの部分が地中化され、
商業施設の姿がほとんど見られない。
あるとしてもせいぜいデニーズぐらいで、
地下鉄駅を降りると、すぐに静謐な住宅街となっている。
道路開発と地下鉄建設の際に、
道路地中化の協定を結んだことがこの街の人々の自慢らしく、
その旨を誇る碑文まで設置されている。
地中化されていない部分も、
良く植樹され手入れされた堤防で両側を挟まれ、
道路は生活圏からは見えず、
また騒音も良く遮断されている。

この街は、行政区分では
練馬区の小竹と
板橋区の向原の境目にあり、
区境が錯綜している。
豊島区と新宿区の境目に位置する、
我が街目白にどこか似ている。
またそのため、両区の小学校が著しく近接しており、
そのいずれも、校庭の下に道路が走っている。

住宅地は道幅の狭い一方通行路が張り巡らされている。
自動車や、自動車を利用したドロボーが入りずらい構造だ。
古くからの高級住宅地のようだ。
これもまた、目白に似ている。



生活圏から車の気配を消そうという姿勢には、
非常に好感が持てる。
およそ人間の文明においては、
自動車を排除すればするほど、
生活の質の向上、美的景観の維持、
そして地球温暖化の防止につながる。
そのような街にある駅が、
自動車に対抗する公共交通の要である、
地下鉄の運行に障害をきたしているのは
皮肉な事態ではあるが。

二つの地名をそのまま合体させた駅名といい、
視界から幹線道路を隔離する強固な意志といい、
この街からは、明確な意図や計画に基づいて、
都市空間をデザインし、コントロールしようという
主体的な設計思想が感じられる。

二つの区の境界に位置するために近接する、
二つの小学校の校庭の地下を利用した、
幹線道路地中化
行政上の境界を逆手に取った名案である。
よほど怜悧なアイデアマンが立案し、
また自治体を越えた地域住民の団結によって実現したのだろう。
当時の地域社会がよほど強固なものであったのか。
東横線で何故かそこだけ地中化されている、
田園調布の駅近辺を連想させる。

日本の街にありがちな雑然さはほとんどなく、
その点に関してはヨーロッパ的だ。
小竹+向原という語感には
シュレスヴッヒ-ホルシュタインとか
ノルトライン-ヴェストファーレンとか言う
ヨーロッパの地名と似たような響きがある。

山手線から三駅目 緒言

2008/06/29(日) 00:16:01 [【シリーズ】山手線から三駅目]


近代日本の都市計画は公共交通網たる鉄道路線を中心に構成されており、鉄道駅の様相がその明暗を分けて来た。東京首都圏も例外ではない。首都である東京都区部においてとりわけ重要な役割をになってきたのは、環状鉄道である山手線である。山手線の環の完成より以降、国鉄私鉄を問わず、山手線を中心とした放射状に、首都圏の鉄道網は成長を続けて来た。この円環に組み込まれた街は一級のターミナル駅もしくは繁華街として発展を遂げ、外された街は二級の乗り換え駅またはB級繁華街への零落を余儀なくされる。

その、山手線駅に近接しているが山手線から外れた街を、意識して観察してみたら何か面白いものが見えてはこないかというのが、このシリーズの主旨である。なぜ「山手線から三駅目」なのか。この三駅目には、山手線外縁の主要な乗り換え駅が該当するケースが多い事がひとつ。また生活圏を考えると、一駅目や二駅目の距離では、山手線駅自体が自転車による日常行動範囲内に含まれてしまうので、三駅目ぐらいが丁度良いのではというのが今ひとつの理由である。

なお、このシリーズの対象となるのは、山手線駅から放射状に外側に伸びる路線の、三駅目である。つまり東京地下鉄銀座線の神田~新橋間や、同日比谷線の秋葉原~日比谷間のように、一度山手線と交差してその外側に出て、また内側に入って来る区間は対象とならない。

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