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カナヘビ君

2009/04/30(木) 01:35:43 [【08-09】電線上のハクビシン]

排水溝が詰まって洗濯時にベランダが水浸しになってしまうのは
もういつものことなのだが、
今日に限ってそこで一匹のカナヘビがじっとしている。
泡だらけの排水から慌てて救い出して
部屋の中でその可愛らしい姿を眺めていると、
素早く逃げ出して姿が見えなくなってしまったりする。
間違って踏みつけでもしたら大変なことだ。
とても名残惜しく思いながら
小一時間ぐらいでマンションの庭に放ってやったが、
すぐに立ち去るわけでもなく、
しばらくは洗濯物と一緒にその辺で日光を浴びていたようだ。



カナヘビの呼吸するたび愛らしき胸のくぼみの浮き沈みする



蜜や花びらを食べるわけでもないのに
プランターのナスタチウムの花の中に首を突っ込んで
舌をチロチロと出し入れしているのはまあ良いとしても、
近所の猫達に遊び半分に襲われて殺されないかどうかだけは心配だ。
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吉川幸次郎『漱石詩注』12

2009/04/29(水) 02:11:54 [ボキャブライブラリー]

参差:しんし。物体の線が不ぞろいにある形容。
碧落:天。大空。
紅塵:都会のちり。
蘚心:こけの気持ち。
晴喧:晴れた日の暖かさ。小春日和。
空霊:透明で自由。
簫風:しめやかでさわやかな風。
落莫:すがれた心。
索莫:わびしい。
歴々と:ありありと。

武蔵野台地食欲戦線

2009/04/28(火) 00:16:01 [【08-09】電線上のハクビシン]

 府中市の外れの幹線道路沿いに自動車用品店と「伝説のすた丼屋」が並んでいる。この豚丼屋は東京都下・多摩地域に広がる郊外のロードサイドをその発祥としているが、二十一世紀になって俄かに都心部のオフィス街や学生街に進出しているらしい。

戦車に搭乗した夥しい数の豚の兵隊が、
武蔵野台地の幹線道路を一斉に東進する。



街道に豚の大隊連なりて食欲前線東に進む



すた丼の東に展開する時にバルバロッサと叫んだかもね



府中市は例えばキエフクルスクか? ロードサイドの胃の腑の戦線



ロードサイド的消費文化の都市商業地における適応の形態。
(それは宮崎駿的な風景。)

西脇順三郎「旅人かへらず」四三より

2009/04/25(土) 23:18:48 [引用▼日本]

むさし野に秋が来ると
雑木林は恋人の幽霊の音がする
櫟がふしくれだった枝をまげて
淋しい
古さびた黄金に色づき
あの大きなギザギザのある
長い葉がかさかさ音を出す



西脇順三郎は、普通シュルレアリスムの影響を受けた象徴詩の詩人であると理解されているが、例えばその作品を、強引に叙景詩として、つまり漢詩や唐詩などと同じ次元の作品として読解するという試みは可能であろうか。シンボリズムの次元を「再平板化」して理解するという試みから、新しい地平が拓けてくるということはないだろうか。

確かに、武蔵野には雑木林が多いし、雑木林には櫟の木が多いし、櫟の葉はギザギザしている。
それ以上でもそれ以下でもない。

JR南武線西府駅

2009/04/24(金) 23:45:09 [【08-09】電線上のハクビシン]

 府中市の西端の住宅地にこの春忽然と出現したJR南武線西府駅の構内で、本当に小さなキオスクだけがポツンと店を開いている。駅周辺は、住宅地と畑と空き地だけしか見えず、商業施設らしきものは全く何も無い。小学校や市営プールがある駅の南側を少し歩くとすぐに崖になってしまう。
 崖の縁に沿って続く新緑の遊歩道にはオナガの声と姿がやたらに目立つが、ハシブトガラスが完全に覇権を掌握している都心部とは、また異なった鳥類達の生態系が郊外にはあるのだろう。

 崖下には国立から西側の多摩地域の遠景が広がり、NECの工場と、どこまでも続く送電塔の行列が遥かに望める。



何時の間に吾崖の上立っていて
NECの工場見ていて



 この崖は、地学的には府中崖線と呼称するのだと言う。昔の多摩川によって形成された武蔵野台地の、南西の果てに当たるらしい。



知らぬ間に府中崖線上に居て



鉄塔の向こうに原発幻視する春の朧な空気の向こうに



 この崖からは湧水も観察される。



トーキョーの夢を支えるリアリティ
下部構造の
眼下に
崖下



首都載せて関東平野に浮かびたる浮遊大陸武蔵野台地



 北口のガラス張りのファサードのスクエアな相貌はそれなりにカッコいい。空き地に囲まれたこじんまりとしたバスターミナルだけがあるが、駅前に何も無いというのは悪いことだけではない。パチンコ屋が存在しないというのは良いことで、その進出は絶対に阻止しなければならない。

 少し歩いた所にホームセンターが見えるが、これは南武線とは関係がなく、近くを走る幹線道路に面した店舗の裏側である。幹線道路沿いのコンビニ達は皆、その店舗に比して広大な面積の駐車場を持っている。しかしこの新駅の誕生により、自動車が支配する郊外社会に、鉄道の側の逆襲のプレリュードが僅かながら流れはじめている。

 住宅地の中を歩いて行くと、上円下方墳という、正方形の上に円を載せた二段重ねの珍しい古墳を見つけた。

吉川幸次郎『漱石詩注』11

2009/04/23(木) 23:54:28 [ボキャブライブラリー]

流落詩:不運な放浪者の歌。
蹊頭:けいとう。道端。
浅渚:あさせ。
簫然:ひっそりと。
窈窕:奥深い物静かな心理。
鶯語:鶯のさえずり。
爛酔:泥酔。
晴容:晴れ上がった姿。
幽位:静かな気持ち。
簫散:さっぱりした気持。心境。

シンボリズムの不成立について

2009/04/22(水) 23:55:53 [【思索】詩作ノート]

表象文化論の用語だと「コード」、美術史とか芸術学の用語では「イコノロジー」というのだろうか、その呼び方はどうでも良いのだが、あるモノを提示することによって、そのモノの背後の意味を示す象徴的表現が成立するためには、メッセージの送り手と受け手との間に、そのモノの意味に対する共通了解・共通基盤が必要とされる。その基盤が共有される時、そのモノはモノ自体ではなく、記号あるいはメディアとして機能する。言語表現における隠喩や直喩といった技術も、またこれらの象徴的表現の範疇に含まれるだろう。
しかし、高度に複雑化、多様化した現代の文化において、そのようなキャッチボールが素朴に可能なのか? シンボリズムが不可能な時代を、現代の表現世界は迎えつつあるのではないか? だとしたら、これからの言語表現において必要とされるのは、隠喩でも直喩でも、豊穣な象徴の世界でもなく、むしろ身も蓋も無い直叙の技術ではないか。執拗かつ過剰に直叙を繰り返し、圧縮し、詰め込むことによって、新しい言語表現を開くような技法。最近になって思うのだが、私は無意識のうちに、そういったことを実はやりたかったのかも知れない。

クレーンばかりが増殖する

2009/04/21(火) 03:11:40 [【08-09】電線上のハクビシン]

作業中のクレーンが転倒して国道を塞いだ事故だが、
麹町新宿通りといった個別の場所そのものには、
さして深い意味は無い。
むしろ経済危機や不況などと言われている現在の日本において、
かくも多くの工事現場が存在し、
かくも多くのクレーンが稼働していること自体が、
素朴に驚きであり、不思議である。



鉄の鶴ばかりそびえる
氷河期に
四月の街の
道塞ぐ首

吉川幸次郎『漱石詩注』10

2009/04/20(月) 07:56:13 [ボキャブライブラリー]

指一弾:指を一はじきするほどの短い時間。
夭夭:桃の形容。
歴々:ありありと、はっきりと。
曖曃:あいたい。おぼろ、ぼんやりした状態。
幽花:しずかに咲く花。
翠微:緑の小山。
淡靄:たんあい。薄かすみ。
晴暉:せいき。晴れた日差し。
喞喞:虫の声の擬声語。
簫簫:わびしくもさやかな。既出。

内神田尾嶋公園

2009/04/18(土) 23:58:27 [【08-09】電線上のハクビシン]

三方をオフィスビルに囲繞された長方形の小さな公園の敷地内に居るのは
スーツ姿の男女ばかりで、
互いに他の人間と距離を取って、
携帯で会話をするか、
モニターを眺めてそのボタンを操作しているか、
もしくは煙草を吸っている。
人の数に対してベンチの数が足りないので、
遊具も椅子代りに利用されている。



その時空ねじれの位置にある如く
一つの空間
個別の時間



現前の
単数形の空間に交錯せざる
複数の時



この狭き空間に集う人々のトポフィリアから遠く離れて



今ここに居る人にとってこの場所の固有名詞は意味を成さない



僕達は空気と標準時の他は全く何も共有してない



(同じ空間に個別の時間が存在するのが都市の現実的形態なら、
個別の空間に同じ時間を実現するのが、
モバイルメディア・モバイルテクノロジーなのであろう。)

いや、そんなことはどうでもいい。
僕もスーツのポケットから携帯を取り出して時刻表示を確認する。

道路を挟んだこの公園の向かい側は、何故か銭湯になっている。



約束の十五分前になったので
僕は普通に立ちあがった。

吉川幸次郎『漱石詩注』9

2009/04/17(金) 05:32:13 [ボキャブライブラリー]

簫条:しめやかに。
修竹:長く伸びた竹。
細鱗:小魚。
初更:午後八時。
三伏:夏の真っ盛り。
玄露:滴る露。
岩頭:いわのへ。
桂花:モクセイ。
林下:森の中。
簫簫:ひそやかに。

新しき緑のクヌギ

2009/04/16(木) 01:48:12 [【08-09】電線上のハクビシン]

新しき緑のクヌギの枝上る
コゲラが一羽
春風が吹く



新しき緑のクヌギ
青空に雲一つ無く
春風が吹く



新しき緑のクヌギの枝揺らし
激しく揺らし
春風が吹く

吉川幸次郎『漱石詩注』8

2009/04/15(水) 06:28:01 [ボキャブライブラリー]

瑞色:めでたい雰囲気。
華髪:白髪。
翠嵐:緑の山の気配。嵐は嵐ではない。
簫然:わびしいとともにさっぱりした。
空翠:小山の緑。
廃砌:はいせい。崩れた石畳。
揺曳:ゆさぶる
寒黄:冷たい黄色
点綴:散らばり連なる。
暗碧:暗い緑。

「かぐや」が見た地球

2009/04/14(火) 01:28:04 [俳句]

日本の探査宇宙船「かぐや」が映した地球の映像をモチーフに、
色々な分野のクリエイターがそれぞれに作品を作るという番組が、
深夜のNHKで再放送されていた。
(『アース・ウォッチャー』)
私も真似して、作品を作ってみた。



果てしなき虚空に浮かぶ海の青

吉川幸次郎『漱石詩注』7

2009/04/13(月) 03:37:06 [ボキャブライブラリー]

尽日:ひねもす。
仄径:かすかな道。
清福:清潔な幸福。
的歴:光輝く美しさ。
澹淡:ゆったりと淡白。
簫索:わびしげな。
愁人:愁いのある人。
潺湲:せんかん。せせらぎの音。
碧落:大いなる青空。
虚明:空虚明澄な空気。

Echika池袋の装飾

2009/04/11(土) 23:59:42 [【08-09】電線上のハクビシン]

 東京地下鉄池袋駅から、副都心線の軌道と重なる形で西口側に延びている地下道にオープンした商業施設、Echika池袋の内部は、植物的な装飾で満たされている。照明にも看板にも柱の外周にも、蔓性植物を象った飾りが、繁るかのようにそこら中にまとわりついている。ベル・エポックアールヌーヴォーか、おそらくはフランスの世紀末芸術っぽい意匠を、表面だけなぞってみたものだろう。池袋でなぜフランスなのか?
 出店している店の名称も、何だかフランス語っぽいものが多い。しまいには、有楽町線側へのショートカットの脇道をパサージュと称する始末だ。
 Echika池袋の内部はまた、女性の姿で満たされている。若い女性から中高年の女性のグループまで。植物が虫を吸引するように、擬似フランス意匠が埼玉の土着民を吸引するのだろう。



とめどなく全てに絡むその蔓の地下の光で光合成する



表情も陰翳も無き人工の地下の光で光合成する



均質と
意味と
機能と
装飾と
ビジネスばかりがただ増える街



 今の要町から千川あたりに、若い画家や文学者が集って「池袋モンパルナス」と称した時代があったと言う。遠い戦前のことである。池袋とフランス意匠に全く縁が無いわけでは無いことはわかったが、だからと言って、この現下のフランスごっこの痛々しさが中和されたわけでは全く無い。むしろ文化的な街として商業戦略を仕掛けようとする時に、わざわざ戦前にまでさかのぼって材料を探さなければならない辺りが、この街の本質的な貧困さを表している。
 それに、若く貧しい芸術家達がこの一帯に集住したのは、その当時はまだ大塚が城北の中心的な繁華街で、池袋は草深い田舎だったからではないか? それこそ、戦後における池袋のターミナル駅としての、あるいは商業地としての発展は、結局は見るべき文化的な遺産を何も遺さなかったということの証明のようなものではないか?

 ゼロ年代の池袋の街からは、西武美術館も東武美術館もとうの昔に姿を消している。



ミュージアム滅びた後の地下鉄の通路を称してモンパルナスと



 エキナカエキチカビジネスは、現在の日本においてとても効率的で有望なビジネスとされる。その要因は、徒歩で移動する人間だけを、確実かつ大量に捕捉できるという基礎条件に拠っている。そしてその基礎条件はもちろん、戦後の日本における都市部への人口集中と、発展拡大し続ける鉄道交通網というマクロな状況の上に成立している。
 その一方で、戦後の日本社会は、アメリカ的な大量消費文化を受け入れ、拡大してきた。ファストフード、ファミリーレストラン、巨大ショッピングセンター。それらはいずれも大枠において、自動車が生活の中心にあることを前提としたビジネスモデルであり、高度成長期において国策的に整備された幹線道路沿いの広大な空間を主要なフィールドとして増殖して来た。その究極的な下部構造は、もちろん石油文明である。

 今、この、世界的な経済不況において、その淵源であるアメリカの威信は決定的に失墜し、その大量消費文化もまた終焉を迎えようとしている。自動車に支えられたアメリカ的消費スタイルに対抗するモデルとして、鉄道に支えられたエキチカビジネスを措定することがもし可能だとしたら、何かとアメリカと反目しているフランスの意匠を、エキチカが身にまとうことにも、それなりの必然性や意味を強引にこじつけることも出来るかも知れない。

 しかしエキチカもまた、根本的には飽食とブランド消費の文化であることは、忘れてはならない。そして、池袋西口北側の地上では、アメリカでもフランスでもなく、記号論的な地平を破砕する実態としてのチャイナタウンの浸食が進行中であることも。



 蔓に絡め取られたかのように、人々はこの地下道において遅々として進まない。池袋のご当地B級グルメであるらしいチーズドッグの店には、長い行列が出来ていて、警備員が誘導に当たっている。メトロポリタンビルの一角にかつて店を開いて失敗した、スープストックトーキョーが再び出店している。立ち食い蕎麦屋などという気の利いたものはもちろん存在しないのは、表参道のEchikaと同様だ。
 この地下道と並行して南側に通っている有楽町線の地下道は、現在工事中のため狭められ、内装が剥き出しになっている。その殺風景で無機質な、本当に単なる通路でしかない空間を、足早に無口にただ通り過ぎる人々の足音だけが、硬く冷たく響いて来る。



 メトロってフランス語だっけ?

吉川幸次郎『漱石詩注』6

2009/04/08(水) 04:46:42 [ボキャブライブラリー]

煙波:えんぱ。霞と波。自由な水域の産物。
依稀:ぼんやり。ほのぼの。
萋萋:せいせい。草の茂った感じ。
遅日:のどかな春の日の日光。既出。
天一碧:おおいなるみどりひといろ。
芳霏:木の花を中心とする景色のかぐわしさ。
韶景:うるわしい春景色。
疎竹:まばらな竹。
寥寥:空虚なる清潔の感じ。
簫条:わびしい、しかし清潔な感じ。

春の焦燥

2009/04/07(火) 02:36:04 [短歌]

この生暖かい春の夜に、
一人自らをキリキリと苛み続けるのはやめろ!
むしろ今そこに在る頽廃と官能を我が物とせよ。
何故それが出来ない!!
苦しい。
ひたすらムカツク。
イライラする。
だから!!!
やめろと言っているんだ!!!!



春の夜の生暖かき圏域の時には人を苛みもする

吉川幸次郎『漱石詩注』5

2009/04/06(月) 23:47:14 [ボキャブライブラリー]

牢落:ろうらく。緊張を伴った空虚さ。
小眠:しばしの眠り。
星:せいこう。天の川。
疎鐘:間隔をおいて、おぼろに響いて来る鐘。
冥色:夕暮れの色。
高秋:さえわたり深まった秋。
暁来:夜が明けると。
寥廓:天の広大な空虚さを言う語。
遥林:窓外はるかに見える林。
光風:さわやかに光る風。

『吉井勇歌集』新潮文庫版

2009/04/06(月) 05:45:06 [未分類]

早稲田雑司ヶ谷周辺の古本屋が中心になっている
イベント集団「わめぞ」が企画した、
休日の銭湯の建物を利用した古本市に行ってきた。
入口のアーチ形の瓦屋根が
渋く重々しい雰囲気を醸し出すファサードが何ともステキだ。
結構人が入っている。
古本はもちろん、軽食やアルコールも売られ、
何故かマッサージ屋まで出店している。

古本を漁っていると、
吉井勇歌集』の新潮文庫版というのを発見した。
今から10年ぐらい前に企画された、
新潮文庫の復刊シリーズの1冊である。
この復刊シリーズは、通常の新潮文庫より上等な装丁で、
日本文学はえんじ色、外国文学は紺色のカバーがかけられている。

吉井勇歌集』同じタイトルのもので、
岩波文庫版(こちらも岩波文庫の復刊もの)は、
神保町の古本屋で発見して既に持っているのだが、
この新潮文庫版は、存在すら知らなかった。
値段を見て、びっくり!
8000円!!である。
さすがにこれを買う度胸は今の私にはなかった。

吉川幸次郎『漱石詩注』4

2009/04/05(日) 23:18:42 [ボキャブライブラリー]

澹蕩:たんとう。春の日長を形容する。
簫散:しょうさん。景気は良くないが清潔な生活。
寥泬:清潔にして空虚なる。
眇然:うつろに、はるかに、うっとりと。
長風:はるかに吹きわたる大きな風。
沙鷗:砂浜のかもめ。
蒼茫:そうぼう。不可知なものが無限大にひろがる状態。
天外:大空のはるかかなたなる地域。
江山:大川と山。
浩蕩:波立ちつつ無限に広がる空間。

今年の桜

2009/04/05(日) 01:30:39 [【08-09】電線上のハクビシン]

今年もとうとう桜が咲いて、
僕は一人で足踏みしている。

吉川幸次郎『漱石詩注』3

2009/04/04(土) 23:46:36 [ボキャブライブラリー]

縹緲:恍惚たる境地を言う語。
韶光:ショウコウ。春の日光、もしくはその下にある春景色。
慨然:心を高ぶらせて。
漠漠:捕まえどころがなくもののひろがる形容。
閑花:静かに咲く花。
空庭:人影のない庭。
朝暾:チョウトン。朝日。
窈窕:たおやかな。
河岳:大いなる川と山。
呫嗶:チョウヒツ。うわべの読書。

丸ノ内線ワンマン化

2009/04/04(土) 00:53:57 [詩文・俳文]

池袋発の丸ノ内線の最後尾に乗り、
今は無人となっている運転席の窓を通して、
車両の外を眺める。
暗闇の中を常に地下鉄のレールが遠ざかっていく。
茗荷谷を過ぎて地上に出ると、
サンシャインビルが空に突出しているのがやはり目立つ。
例えば、都電荒川線の中から見えるこのビルの姿は、
その近景の下町的な景観との明確なコントラストから
しばしば言及されることがあるけれど、
丸の内線の車窓から意識して観察するのは、
今日が初めてのような気がする。
こうして見ると、
このビルはやはり城北一帯のランドマークであることを、
改めて認識させられる。

この三月二十八日から、丸ノ内線は全線でワンマン運転を開始した。

もう一度地下に潜って、
後楽園の手前で再び地上に出た時には、
もうその姿は見えない。

母校

2009/04/04(土) 00:20:35 [【鶏肋】言葉の切れ端]

それなりに懐かしきこと無くも無し
かつて「砂漠」で会いし人々



(「砂漠」というのは、
私の出身大学の、その在学当時の総長が、
卒業式の式辞において自ら母校を評した言葉。
「砂漠のようなうちの大学でやってこれたんだから、
諸君らは既に世間の荒波を越えて行けるだけの力を身に付けている。」
とのことであった。)

吉川幸次郎『漱石詩注』2

2009/04/03(金) 00:24:18 [ボキャブライブラリー]

万古:永遠に
片雨:ひとひらの雨
花謝:はなが散る
迢々:ちょうちょう。はるかにはるかに。
蚊軍:蚊の軍勢。
巨濤:海の大波。
茫洋:水の広さを言う語。
紛霏:花が盛んに散る様子。
雲際:雲のきわみ。

春雷

2009/04/02(木) 01:55:02 [【08-09】電線上のハクビシン]

春雷の轟くほどに無為の人



稲妻の光る宵でも床の中

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