西脇順三郎『えてるにたす』より6

2009/05/31(日) 01:15:23 [引用▼日本]

欲望は永遠にはない
欲望を捨てたいと思うこと
も欲望だ
……
ジャガイモがジャガイモになろうと
することも欲望の悲劇だ
栄光は栄光を求めないことが
栄光だ
栄光は栄光になろうとしない
栄光を捨てることが栄光だ

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オレが真珠

2009/05/30(土) 01:18:25 [詩文・俳文]

この春に青学を卒業したばかりだという職場の女の子は、
ファッションとブランドの話題が大好きで、
いつも私の服装にダメ出しをしたり、
ファッション雑誌の記事をしきりに私に見せては
その感想を聞いてきたりする。
ある日、新しく買ったブランドの鞄を嬉しそうに披露してたので、
私にはそれが良いものかどうか分からないとコメントすると、
○×さんにはどんなブランドも豚に真珠だからねと言いやがったので、
次のように答えた。
「オレが真珠。
オレが小判。」

西脇順三郎『えてるにたす』より5

2009/05/29(金) 01:04:20 [引用▼日本]

永遠を象徴しようとしない時に
初めて永遠が象徴される
……中略……
永遠を追わないほど
永遠は近づく
シンボルの滅亡のために
杯を高めて
野原へ行く

不躾

2009/05/28(木) 00:15:38 [短歌]

午後出勤午前の安眠妨げる
ペリカン便の不躾な朝

『夏のあらし!』のエンディングコント

2009/05/27(水) 01:09:44 [未分類]

テレビ東京で日曜深夜に放送されている『夏のあらし!』は、作品自体は特に変わった所も無いオタク向けアニメで、見ていて別に面白いと思う部分もないのだが、そのエンディングの次回予告の前に挟まれたショートコントは秀逸だ。そのパロディの元ネタとされているのも、『おぼっちゃまくん』や『キン肉マン』といった、丁度私が子供だった頃に全盛だった作品ばかりで、世代的にも私の年代の人間を狙っているのかなという感じもする。

作品本体は無視して、このショートコントだけを集めてDVD化して、おまけに小冊子のシナリオでもつけて販売してくれれば、価格設定によっては買っても良い。つまりは、このコントを考えた人間(著作権者)に、ピンポイントで対価を積極的に支払いたいと私としては思うのだが、売る方としては、そういう商売は考えていないのだろうか? 

これだけメディアとネットワークが発達したのだから、そういうニッチな小商いが色んな所からどんどんと成立しても良いように思うのだが、現実のビジネスモデルとしては成り立たないのか? ネットの動画サイトで盗み見する、させるだけではいかにもつまらないし、一体何のためのメディアであり、テクノロジーであるのかという気がする。

麦茶

2009/05/26(火) 00:23:25 [俳句]

うんと濃い水出しの麦茶飲み干して

西脇順三郎『えてるにたす』より4

2009/05/25(月) 00:12:40 [引用▼日本]

なにも象徴しないものがいい
つまらない存在に
無限の淋しさが
反映している
淋しさは永遠の
最後のシンボルだ
このシンボルも捨てたい
永遠を考えないことは
永遠を考えることだ
考えないことは永遠の
シンボルだ
このシンボルも捨てたい
捨てたいと思うことは
永遠の最大なシンボルだ
このシンボルは見えない
脳髄の中を通る
宇宙線だ

直叙

2009/05/24(日) 03:17:05 [俳句]

新しき直叙の詩風ここに立つ



万葉に「正述心緒」の既にあり

西脇順三郎『えてるにたす』より3

2009/05/23(土) 00:49:15 [引用▼日本]


意識は過去だ
意識の流れは追憶のせせらぎだ
時の流れは意識の流れだ
進化も退化もしない
変化するだけだ
存在の意識は追憶の意識だ
「現在」は文法学者が発見した
イリュージョンである
「話す人」の位置だ
永遠は時間ではない
時間は人間の意識にすぎない
人間に考えられないものは永遠だ


召喚魔法

2009/05/22(金) 03:15:51 [【08-09】電線上のハクビシン]

アンテナの頂き
カラス
雨を呼ぶ



彼は一緒に振動して、天候を自分の中に集中し、
雲や風を支配することができるようなふうに
天候を自分の中に抱きとった。
もちろん支配するといっても、
それは我儘に思うままにできるというのではなくて、
自分と世界とのあいだの、内と外とのあいだの区別を
完全に揚棄した結合と従属とによるのであった。
そのときには彼は有頂天になって、たってようすをうかがうのであった。



荒天に黒く渇いた咆哮は住宅街の召喚魔法



黒服の雨乞祈祷師
この街の
ここにもそこにも
あそこの屋根にも



(♪エッロイームエッサイム♪)
(♪エッロイームエッサイム♪)



有頂天になってしゃがんですべての気孔を開いて、
風や雲の生活を自分の内心に共感するだけでなく
指揮し生み出すことができるのだった。

西脇順三郎『えてるにたす』より2

2009/05/21(木) 00:36:27 [引用▼日本]

象徴しないものほど
人間を惹きつける
生きていることは
よくきこえないものを聴くことだ
よくみえないものを見ることだ
よくたべられないものを食うことだ
最大なXに向かって走るだけだ
存在は宿命だ
シムボルは悲劇だ
「あらどうしましょう」

日高屋のM

2009/05/20(水) 03:16:12 [【08-09】電線上のハクビシン]

いつも一緒の、
乗り換え駅近くの富士そばでばかり
食事をするのもつまらないと思って、
駅の反対側に出て駒沢通りを西へ歩いていくと、
そこでもやはり富士そばを発見してしまう。
これではしょうがないと思って、
さらに横断歩道を渡った所にあった日高屋に入る。
他の場所では聞いたことが無いような、
マイナーな演歌ばかりが流れる富士そばの店内とは異なり、
タンメンを待っている間に、
プリプリMのイントロがかかっておや懐かしいと思ったが、
歌っているのは聞いたことが無いような男性ボーカルだった。



タンメンのもやし我が胃に還りゆく
胞子が森へ還るようにと

西脇順三郎『えてるにたす』より

2009/05/19(火) 01:24:33 [引用▼日本]

シムボルはさびしい
言葉はシムボルだ
言葉を使うと
脳髄がシムボル色になって
永遠の方へかたむく
シムボルのない季節にもどろう
こわれたガラスのくもりで
考えなければならない

恵比寿の光線

2009/05/18(月) 00:55:11 [【08-09】電線上のハクビシン]

JR恵比寿駅西口のベッカーズの、
店外スペースに並べられた席でモーニングを食べていると、
さっきから至近距離を
若い女性ばかりが掠めていくのに気づく。
庇の下の少しでも影のある場所を選んで縫うように歩いている。



艶やかな女
日影を求め行く
五月の
午前の恵比寿
光線



鮮やかに彩り纏いし生き物の時にあらわす負の走光性



目に見えぬ紫の脅威初夏の朝

【映画】サラマンダー

2009/05/17(日) 00:33:47 [【映画】観映グゥ評]

炎を吐く翼竜型の怪物「サラマンダー」に文明が壊滅させられた後の世界で、
生き残った人類がそのボスのオスに闘いを挑む。
アメリカ映画。
基本的には凡作。B級アクション映画。

原則として、一匹の圧倒的に強大な怪獣を脅威として描く
日本のゴジラ映画とは違い、
種としてのサラマンダー全体が人類社会全体の脅威であるという設定を
きちんと描写しているところは、
アングロサクソン的なリアリズムを感じさせる。
雌のサラマンダー一体を倒して浮かれているイギリス人に対し、
アメリカの軍人がこの作戦で3人が犠牲になったのに喜んでいる場合かと
激怒するシーンもアングロサクソンっぽい。
つまり、娯楽映画という枠内の中でも、
絶滅戦争、皆殺し戦争に対する厳しい認識がそれなりに見て取れる。

だが取ってつけたようなヒロインが登場するのはやはりアメリカ映画。

ゴジラに代表される日本映画の怪獣が
核兵器(大量破壊兵器)
あるいはそれに類似した被害をもたらす大規模自然災害(関東大震災など)を
イメージさせるのに対し、
こちらのサラマンダーは身体こそ小さいが、機動力があり、小回りが利く。
この辺はアメリカ版のゴジラと似ている。
つまる所、アメリカ人は、複数匹で機敏に行動する敵に
脅威を感じるのだろう。

このサラマンダーは、口腔内に化学物質を分泌させてナパーム状の火炎放射を
行う能力があるという設定だが、
この空中からの火炎放射能力は、自らが行ったベトナム戦争における
ジャングル焦土化作戦からの連想か、
それとも火炎放射器や、日本の都市を空襲した際にばらまいた焼夷弾のイメージか?

隼以外の何者でもない

2009/05/16(土) 00:16:18 [短歌]

蛇は蛇
蛇を捕らえる
隼は
隼以外の何者でもない



トーテムとシンボリズムの呪縛より
解き放たれて隼の飛ぶ



(「言語の物質性」について、
私はまだ良くわかっていないのだ。)

西脇順三郎「一月」より(「近代の寓話」より)

2009/05/15(金) 00:15:22 [引用▼日本]

美しいものは裸の女神よりも
裸の樹の曲がり方だ。
黒い土に結ぶ水晶と根の季節だ。

池袋の森公園の池に、誰かが餌を投げ入れた

2009/05/14(木) 01:45:20 [【08-09】電線上のハクビシン]

その水面オタマジャクシら輪になって
麩菓子浮かんで
五月になって



四分音符
八分音符ら輪になれば
初夏奏で出すぬるきこの水

西脇順三郎「内面の日記」2

2009/05/13(水) 00:08:56 [引用▼日本]

ペルシャ絨毯
一つの横顔
一輪の菊の
はるかに
あんぱんを食ふ人々の淋しき

徐行パトカー

2009/05/12(火) 01:02:26 [短歌]

日曜の朝
パトカーが徐行する一方通行路にも
晴天

萌系作画と麻雀マンガの相性について

2009/05/11(月) 02:43:54 [未分類]

いわゆるオタク系、萌系のマンガやアニメの作画を一概に否定するものではない。萌系の作画や世界設定には、キャラクターのヘアスタイル、語尾、着用している衣服、装飾品など全てに、オタクの人々独自の情報体系に基づいて意味が付与されていて、オタクの人々はそれを美術史家や図像学者のように解読していく。物語を消費するスタイルのひとつとして、知的な遊戯のひとつの形態として、そういうジャンルはあってよい。

しかしそれが、マージャンマンガというジャンルと相性が良いかどうかと聞かれれば話は別である。

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そもそも真面目に闘牌が描きこまれたマージャンマンガを読むのは、結構な集中力や情報処理能力、知的なエネルギーが必要になると私は思っている。だからこそ作画はシンプルで、無駄な要素を極力排した分かりやすいものが良い。その好例が、いずれもこのジャンルの大成功者である福本伸行や片山まさゆきの画風である。いずれも、シンプルな線描で必要最低限の情報を伝達することに高度に最適化された作画ではないか。(だから片山まさゆきは、マージャンマンガの最高峰であるのみならず、情報マンガや教育マンガの技量においても、おそらく現在の日本で最高峰だろう。)

まあそれは私の個人的な意見としても、とりあえず『打姫オバカミーコ』は深夜枠でアニメ化してもそこそこ良い線までいくのではないかとひそかに思っているのは、私だけではないと思う。

グローランプ

2009/05/10(日) 00:21:09 [【08-09】電線上のハクビシン]

春の闇
グローランプ


尽き……







【映画】イレイザー

2009/05/09(土) 00:43:36 [【映画】観映グゥ評]

軍需会社の悪事を内部告発しようとした女性証人を暗殺者から守る、
証人保護官の活躍を描いたアクション映画。
主演はシュワルツェネッガー。
別に『ターミネーター』シリーズのように、
(作品が作られた当時は最先端の)特殊な映像技術が使われているわけでもなく、
またかの名作、コマンドーのように、
突き抜けた馬鹿馬鹿しさと面白さがあるわけでもない。
つまりは大したことのない凡作。

だが裁判員制度の導入を目前に控えた今の時期に、
テレビ東京がこの作品をテレビ放映枠にもってきたことには、
何かしらの意図があるのかも知れない。

弁当男子

2009/05/08(金) 01:27:28 [【08-09】電線上のハクビシン]

百均のタッパー二つに生活と侘び寂び詰めて弁当男子



 百円均一の品物でも、おかずを詰めているメイドインチャイナのタッパーは、米飯用の日本製タッパーに比べてパッキンの留め具の部分が緩くて危うい。弁当箱一つまともに作れない連中が核兵器を実装し、有人宇宙飛行を行い、世界の工場と称しているのが現代の技術的現実である。

西脇順三郎「天気」(「ギリシア的抒情詩」より)

2009/05/07(木) 00:16:40 [引用▼日本]

(覆された宝石)のような朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日

有栖川宮記念公園

2009/05/06(水) 00:29:39 [短歌]

煦々として
水彩絵具の子らが居て
有栖川宮記念公園



この坂を登り始める
この一歩
東京都立中央図書館

シンボリズムの限界

2009/05/05(火) 01:06:09 [【思索】詩作ノート]

例えば、蛇という爬虫類は、ある時は知恵のシンボルとして、ある文化では邪さの象徴として、またある時は大地の神の化身として、またある時は男性器を連想させるものとしてイメージされる。それは世界各地のそれぞれの神話や、旧約・新約両聖書に基づくキリスト教のシンボリズムの体系や、あるいは日本の民俗的な世界観や、フロイトやユングの精神分析の解釈体系といったそれぞれのお約束、「コード」に拠っている。しかしそれは、生き物としての蛇自身には、多くの場合全く何の関係もないことだろう。

言葉に拠ってある対象を指し示すのが、言語の一義的な、日常生活における普通の役割だろう。つまり「蛇」でも「ヘビ」でも「スネーク」でも何でも良いのだが、その言葉によってあの爬虫類を指示する。言葉のそのような機能によって、私達の通常行っている日常会話は支えられている。

その上に、言葉がその本来定められている指示対象とはまた別の対象を指し示すことがある。そのことを、最広義の、言語の象徴化機能とでも仮に名づけることが出来るだろうか? この時、言葉自体がひとつのメディアであり、シンボルされた対象物はひとつのメッセージであると捉えることが出来るだろうか? その機能が何重にも折り重なって構築された所に、人間の表現物である文化があり、芸術があり、文学があるのだろう。

その象徴化機能は、前述のように文化的に定められた約束事項がある程度共有されていることが前提となっている。約束事項が忘れ去られることによって、シンボルの機能は機能不全に陥っていくだろう。また、蛇という動物を見たことがないという人間ばかりが増えたとしても、それはそれでやはりシンボル化機能は弱体化していくだろう。

久しぶりの歯医者

2009/05/04(月) 00:28:59 [短歌]

仮詰めのセメント乾かす時間にも
文学のことを考えている



吸水機唾液吸い取る間にも
今日のブログは何を書こうか



久しぶりに来た歯医者では、
何とか電解水という殺菌水のシステムを導入している。
うがいの時の水量が減って不便だが、
院内感染などを防止するための措置だと、
以前と変わらずピンク色の白衣を着た女医さんが説明してくれた。

松本章男『道元の和歌』

2009/05/03(日) 00:16:15 [ボキャブライブラリー]

回光返照:自己の心の光を自己にめぐらして自己を照明すること。自己反省。
只管打座:ただひたすら座禅をくむこと。
身心脱落:しんじんだつらく。身も心もいっさいの束縛から離脱する。
人日:じんじつ。昔の七草粥の日。
弥生尽:旧暦三月の晦日。
廓爾:大きくとらえどころがない様。
性空:外界に存在するものを空であると観ずること。
きごしょう:青トウガラシの葉にイリコを混ぜて甘辛く煮た京都の郷土料理。

冷凍肝

2009/05/02(土) 00:08:59 [詩文・俳文]

酸いも甘いも噛み分けたという言い回しがあるが、
それなりの年齢になったのに
この言葉がふさわしい人間になっていない。
むしろかき氷ばかり無理矢理喰わされてきたと言うべきだ。
フォアグラというのは、
ガチョウの嘴に漏斗で穀物を詰め込んで
脂肪肝になった所を食べる料理だが、
冷凍肝という言葉はあるのだろうか。

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