小熊秀雄「彼は行儀が悪い」

2010/02/28(日) 23:27:17 [引用▼日本]

アメリカよ、先づ君を褒めよう、
荒い感情の面の露骨な
光沢をもった君の風貌を
それから支那と日本をともすれば
ごっちゃに考えたがる君等の為めに、
日本を無頼漢たらしめようとする
君等の遠大な計画運動の為めに、
海の上を耕作機を曳いてくる
アメリカの偉大な努力に敬服しよう。

いかにも君等は日本の
いたるところに粗雑な肉体的な火を撒いた。
耕作上手な君等、
食えるシャボテンまでつくりあげた
品種改良の本場から
はるばるやって来た老練な君等のことだ。
歪んだアメリカ的日本を
明日の収穫として犂を山野に打込む
そしてやがて日本の城や山脈、
東洋の思想の耕地がおそろしく足場の悪い
開け拡げたものであることに気づくであろう。
若し君等が日本の思想の一隅に
棲みたいというのであれば
先づ第一にもっと行儀をよくすることだ。
君等の観光団は徒に騒ぐ
そして簾や紙の家に一泊して
風邪をひいて帰国する許りであろう。

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冬のレール

2010/02/28(日) 01:37:29 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

徐行する貨物列車に軋みつつ冬のレールは日溜まりにあり

小熊秀雄「潮騒」より

2010/02/27(土) 23:21:53 [引用▼日本]

日本の負担は
二つの波だ、
太平洋と、日本海と、
そこには激しい満干がある。
波は重圧な呼吸をして
この狭い島嶼の上に
ちかぢかとその白い顔を寄せる。
だがなんといふ親密な
母親のような海であらう。

夕方になるうと
私は足を濡らしながら
貝殻を拾ってあそぶ、
乾涸びた魚や、
時にはヨーロッパの船具や
色の変わった砂粒など、
波の上には新聞紙が漂っていることもある。

殊によったら日本は
磁力をもっているのではないかと思う。
……

入江の美しいのは
波の交流の激しさをかたり、
松の堅固なのは風が強いからだ。
友よ、ヨーロッパの友。
日本の不当な称賛を止めよ。
韻律の日本の実体は
海の潮騒のような
厳粛沈痛なものと知ってくれ。

「草食系」の所以

2010/02/27(土) 00:48:08 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

自意識を反芻するその生態を草食男子と人は呼んだか

小熊秀雄「養鶏場にて」より

2010/02/26(金) 23:16:54 [引用▼日本]

愛しければ鶏の餌にもと雪ほりて
キャベツ畠のキャベツをさがす

大漁のバレンタイン

2010/02/26(金) 03:38:39 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

義理チョコを日々少しずつ消化せん甘党ならざる吾れの義理なり



(Eさんへ)
酒飲んで暴れるあの子の手作りのチョコレートマフィン苦さ程良き



(Kさんへ)
ドラクエのモンスターではありません。「ブラウニー」とはチョコの焼き菓子



ケータイで撮ってもらったチョコ掲げかくも穏やかな僕の微笑み



もしかして
もしかしなくても
今日だけはこれっていわゆるひとつのリア充



チョコの山崩し齧れば春も見え

三好達治「残花」

2010/02/25(木) 23:30:37 [引用▼日本]

友らみな梢を謝して
市にはこばれ売られしが

ひとりかしこに残りしを
木守りといふ

蒼天のふかきにありて
紅の色冴えわたり

肘張りて枯れし柿の木
蒼龍に睛を点ず

木守りは
木を守るなり

鴉のとりも鵯どりも
尊みてついばまずけり

みぞれ待ち雪のふる待ち
かくてほろぶる日をまつか

知らずただしは
寒風に今日を誇るか

音の雪

2010/02/25(木) 01:24:48 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

 小雨なのか、粒がとても細かい雪なのか、目視では判別がつかなかったが、開いた傘に当たる音が固体のそれだったので、ああ、これは雪だなと思った。

三好達治「なれば旅人」より

2010/02/24(水) 23:17:20 [引用▼日本]

されどなれは旅人
旅人よ
……
旅人よ
つつしみて言葉すくなく
信なきものの手なとりそ
ただかりそめのまこともて彼らが肩に手なおきそ
さみしき彼らが背を見るにも慣れてあれ
されどなれは旅人
旅人よ
樹かげにいりて
つめたき石にもいこへかし

貼らないカイロ

2010/02/24(水) 02:26:25 [短歌]

幾度も貼らないカイロを握りしめ
凍れる夜も詩集が売れたよ



冷やかに午前の雪でまだ湿る夜の路上で詩集が売れたよ

三好達治「路上百句」より

2010/02/24(水) 01:16:07 [引用▼日本]

鶺鴒のひひななれども尾の上下

鵯どりの来るも去るもあはれかな

雲代謝みなうつくしき枯木立

鵯どりの朱の一刷けの頬も秋

春浅き麒麟の空の飛行雲

第一銀行夜は手相見の春灯し



麒麟の句に関しては、関森勝夫という国文学者が以下のように語っている。

動物園での所見であろう。……「麒麟の空」とは、首の長いキリンを見、その上に広がる青空を眺めてのものである。その青空に一本の「飛行雲」がくっきりと長く白い線を引いていたのを見とめたのだ。空に首をさし入れたようなキリンの首。その高さよりさらに高い空に飛行機雲が白く描かれている。素直な句ながら構図が確かである。……キリンの悠揚たる姿と、上空の飛行機が描いた白線との対比が新鮮。
関森勝男『文人たちの句境』中公新書より



文人たちの句境―漱石・龍之介から万太郎まで (中公新書)文人たちの句境―漱石・龍之介から万太郎まで (中公新書)
(1991/10)
関森 勝夫

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この鑑賞文も非常によいものだと思う。良い句は誰が見ても良いものだ。

銀行の句は、21世紀の現代も全く同じ光景が見られる。都市の姿を明晰に描写した佳句。

日比谷線の戯れ歌

2010/02/23(火) 04:34:01 [短歌]

日比谷線恵比寿は夷、バルバロイ
広尾を無理矢理ヒーローと読む

三好達治「木兎」より

2010/02/22(月) 23:28:24 [引用▼日本]

十年の月日がたった
その間に 私は何をしてきたか
私のしてきたことといへば
さて何だろう……
一つ一つ 私は希望を失った
ただそれだけ

木兎が鳴いている
ああまた木兎が鳴いている
昔の声で
昔の歌を歌っている

それでは私も お前の真似をするとしよう
すこしばかり歳をとった この木兎もさ

北風は

2010/02/22(月) 05:01:54 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

北風は僕の心を清めない



北風は僕の心を清めない。
冬の北風は時に、
ありとあらゆる雲を掃き清めて、
本当に何も無い、
これ以上無いというぐらい透明で高い天空を僕達に見せてくれる。
非情なる峻厳さによって、あの純粋な青空は満たされている。
非情なる純粋さによって、あの峻厳な青空は満たされている。
けれどもそんな北風によっても、僕の心は完全には清められない。

真冬の寒風に吹かれて、路上に一人佇めば、
心中に蟠る様々な思い、
焦燥、邪念、
不完全燃焼感が掃き清められるかも知れないと、
そのように考えたことが僕にもあった。
何も持たざる存在として修行を行う、
托鉢や行乞の僧侶のように、
自らを鍛えることが出来ると思っていた。
しかし現実に行ってみると、
必ずしもそうではなかった。

なるほど、やってみれば、
人はそれなりの寒冷や空腹には耐えられる。
現在の東京で体感できる寒冷や空腹などたかが知れているが。
なるほど、その気になれば、
確かに羞恥心はある程度まで捨てることが出来る。
通行人の視線など、おそるるに足らない。

けれども何というか、その、
自我とか、自意識とか、
そういうものに対する拘りだけは、
捨てようがないのだ。
むしろ自分を痛めつければ痛めつけるほどに、
そういったものだけが、どんどんと自分の中で先鋭化して、
凝固して硬化して、より存在を主張するようになるのだ。

何も無い自分には成れない。



「どうしようもないわたしが坐っている」



むしろ、そこが基点だ。
僕は宗教者ではない。
表現者だ。
この、自分自身の中にある、頑なに揺るがない何物か、
それを宝石だと思って、至宝だと思って、
無上の価値のあるものだと思って、
押し出して行くしかないのだ。
路上もネットもそのためのフィールドなのだ。

私は結晶となり、宝石となる。
私は価値の源泉である。

三好達治「世はさながらに」より

2010/02/21(日) 01:07:39 [引用▼日本]

かなたなる海にむかひて
かしらあげさへづる鳥は

こぞの春この木の枝に
きて啼きしアオジのとりか



あの地味で何の特徴も無い渡り鳥、アオジをうたった詩は本当に珍しい。
私は若山牧水の短歌を一つ知っているだけだ。

寒鴉(かんあ)

2010/02/20(土) 02:27:42 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

寒風の鴉の咽喉まで詰まらせて



この朝の鴉もどもる険しさよ



口ごもる鴉
今こそ冬の底

三好達治「列外馬」より

2010/02/20(土) 00:22:20 [引用▼日本]

……
 広漠とした平野の中に、彼はそうしていつまでも立ちつくしていた。勿論彼のためには飢えを満たすべき一束の枯草も、風雨を避くべき厩舎もない。それらのものが今彼に与えられたところで、もはやそれが何になろう、彼には既に食欲もなく、いたわるべき感覚もなくなっていたに違いない。
 それは既に馬ではなかった、ドラクロアの「病馬」よりも一層怪奇な姿をした、ぐっしょり雨に濡れたこの生き物は。この泥まみれの生き物は。生あるものの一切の意志を喪い尽くして、そうしてそのことによって、影の影なるものの一種荘厳な、神秘的な姿で、そこに淋しく佇んでいた。それは既に馬ではなかった、その覚束ない脚の上にわづかに自らを支えている、この憐れな、孤独な、平野の中の点景物は。
 折からまた、二十人ばかりの小部隊が彼の傍らを過ぎていった。兵士達は彼の上に軍帽のかげから憐憫の一瞥を投げ、何か短い言葉を口の中で呟いて、そうしてそのまま彼を見捨てて、もう一度彼の姿をふりかえろうともせず、粛然と雨の中を進んでいった。
 雨は声もなく降りつづいている、小止みもなく、雨は十日も降っている。
 やがて時が来るだろう、その傷ついた膝を、そのつつましい困憊しきった両膝を泥の上に跪づいて、そうして彼がその労苦から彼自身をとり戻して、最後の憩いに就く時が、やがて間もなく来るだろう。
 遠くに重砲の声、近くに流弾の声。

エソラ池袋

2010/02/19(金) 00:20:52 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

 東京メトロの拡大意欲は地下空間に納まらない。メトロポリタンビルと東武百貨店に隣接する池袋西口の一角に、エソラ池袋なるツートンカラーのショッピングビルを建設するに至った。このあたりの路上は、以前はホームレスが寝っ転がり、シナ人や南米人のストリートミュージシャンが夜毎民族楽器で演奏を行ったりしていたのだが、このビルの登場でずいぶん清潔になって、雰囲気が変わってしまった。
 ガラス張りで歩道から中が見通せる一階のブティックを含め、低層階はほとんどが女性向けの服飾品店となっている。中層階のオシャレ家具屋やまつ毛サロンも、明らかに女性向けだ。上層階には飲食店が軒を連ねる。要するにこのビルの内容物は衣食住によって占められており、良くも悪くもカルチャーの匂いは感じられない。
 八階に位置する高額の飲食店の店内にのみ、最上階に通じる階段がある。つまりそれらの店は、或る種のメゾネットのような構造になっている。案内板では八階までしか表示されていないが、このビルは見えない九階以上が存在している。
 ベトナム料理屋の窓際の席から見えるのは、ビックカメラの看板、東京芸術劇場の角ばった屋根。路上にはアコースティックギターを携えた二人組のストリートミュージシャンの青年が現れた。

 かつてここには、一人の路上詩人が居たという。
 自分で勝手に作った詩集を、勝手に並べて売っている姿が目撃され、稀には心優しい通行人がそれを買って帰ることもあったという。
 今、その詩人の痕跡はここには全く無く、またそのことを記憶する者もどこにも存在しない。

 向かい側の東武のビルの一室では女性の一団が緩慢な手踊りをしている。最近女性に流行りのヨガか、太極拳か何かかと思ったが、良く見るとどうやらフラダンス教室のようである。

三好達治「艸千里浜」より

2010/02/18(木) 00:39:08 [引用▼日本]

しかはあれ
若き日のわれの希望と
二十年の月日と 友と
われをおきていづちゆきけむ
……
われひとり齢かたむき
はるばると旅をまた来つ
杖により四方をし眺む
肥の国の大阿蘇の山
駒あそぶ高原の牧
名もかなし艸千里浜

『雑司ヶ谷下水道水難事件』を国立国会図書館に納本しました

2010/02/17(水) 02:35:15 [お知らせ・近況報告]

07年から08年にこのブログ上に書いた作品を集めた青条の詩文集『雑司ヶ谷下水道水難事件』を、国立国会図書館に納本しました。図書館のOPAC(検索システム)に反映されるのは、約二ヶ月後とのことです。

国立国会図書館のサイト
http://www.ndl.go.jp/

三好達治「信濃路」

2010/02/15(月) 00:19:30 [引用▼日本]

水浴みし
山の乙女ら おのもおのも
ほとをかくして
立ちにけるかも


……これらは、表記法としてだけ成り立っている四行詩である。これらは、一行の俳句、一行の短歌、任意行の散文詩に変形することが容易にできる。それを、四行に書いているというところに、作者の詩観(詩をどう見立てるか、という考え方)があらわれている。近代日本では、そういう表記の実験ですら、詩になるのである。詩観(詩に関する思想)すら、詩の風景になりうるのである。
(岡井隆『岡井隆の現代詩入門』思潮社)p127



岡井隆の現代詩入門―短歌の読み方、詩の読み方 (詩の森文庫)岡井隆の現代詩入門―短歌の読み方、詩の読み方 (詩の森文庫)
(2006/12)
岡井 隆

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舞浜では既に雪

2010/02/14(日) 02:40:49 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

夕刻、職場の女の子が携帯を見て驚いた声を上げる。
「雪、超ヤバイ」というメールが舞浜の友人から送られて来たと。
二人して慌てて窓の外を見るが、
港区の北辺に降っているのはまだ雨である。

舞浜では既に雪が降っているのなら、
葛西辺りでも雪が降っているのだろう。
お台場で降っていたとしてもおかしくはない。
では、レインボーブリッジを渡ったその対岸、芝浦ではどうか?

港区の北辺に降っているのはまだ雨である。

日本列島における気象学においては、
通常、寒気は北からやってくるものと説明される。
気象予報士の解説に曰く、
シベリアからの寒気団が日本海を渡って列島に到達し、
北陸や新潟に大量の雪を降らせた後に、
中部地方や上越地方の脊梁山脈を越えて関東平野に乾いた風をもたらすと。
しかしながら、よりローカルな単位で観察すると、
どうやら東京都区部では、寒気は東京湾のある南から北漸してくるようなのである。

寒気は南から北漸してくる。
港区の北辺に降っているのはまだ雨である。

(電子顕微鏡は物質の姿を極小のレベルにおいて明らかにする。
現代文明が張り巡らせた電波のネットワークは、
天象の変動の最もミクロな姿をリアルタイムで可視化してみせる。)

港区の北辺に降っているのはまだ雨である。

僕たちが今見ているこの雨と、
舞浜で今降っているという雪の境目は、一体どこにあるのだろう。
新木場か、お台場か、芝浦か、
それとも新橋東京タワーの辺りまでは、近付いてきているのだろうか?



この、
今の、
東京湾の空想う冬の夜
次第に迫り来るもの



雨達が雪に化身す瞬間のリアルタイムがすぐそこにある



退社時間になってようやく、
港区の北辺にも雪が降り始めた。

三好達治「空山」

2010/02/13(土) 00:18:54 [引用▼日本]

休みなく歌いながら せっかちに枯木の幹をノックする 啄木鳥
お前を見ている私の眼から あやうく涙が落ちそうだ
なぜだろう なぜだろう 何も理由はないようだ
風の声 水の音

コリアンタウン化する?恵比寿

2010/02/12(金) 00:44:14 [詩文・俳文]

恵比寿駅の北側に、
なぜか朝鮮系のお好み焼き屋が五軒も六軒も店を出している。
店名は違っても同じグループらしく互いに互いを宣伝している。
メニューは一見普通なのだが、
その中にチヂミとか、韓国風~とか名づけられたものが混ざっている。
店員は時々朝鮮語で会話をしている。

そう言えば、最近恵比寿駅西口の路上では、
韓国人らしき人物から道を聞かれることが多くなった。
韓国の観光サイトをプリントアウトしたと思われる、
ハングル文字が書かれた地図を大抵持っている。

何故なのだろう?
一つ隣の広尾に韓国大使館があるからか?

そう言えば、恵比寿って、もとの意味は戎。
辺境の、しばしば敵対的な異民族のことを表象しているのではなかったか。

三好達治「土」より

2010/02/11(木) 00:16:14 [引用▼日本]

蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああ
ヨットのようだ

フライングキャッチ

2010/02/10(水) 00:34:55 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

 有栖川公園の池にかかる橋の上で、親子連れが老人の引率者を囲んで何かのレクチャーを受けている。細かくちぎったパンを投げているから、池の水鳥に関する解説でも聞いているのかと思ったが、さにあらず、樹上のヒヨドリを餌付けする方法を説明していたのである。ヒヨドリに良く見えるようにパンを掲げてから真上に投げるのだが、予めパンをある程度指で固めておくのが上手くいくコツだと言う。やってみるとなかなか面白い。



自在なる飛翔反転
自らが風そのものであるかのように



灰色が視界掠める
須臾にして飛球(フライ)は既に宙空に無い



歌手として箸にも棒にもかからない。
外野手としてかなり優秀。

三好達治「昨日はどこにもありません」より

2010/02/09(火) 00:37:48 [引用▼日本]

昨日はどこにもありません
あちらの箪笥の引出しにも
こちらの机の引出しにも
昨日はどこにもありません

……

いいえ昨日はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません
今日を打つのは今日の時計

……

今日悲しいのは今日のこと
昨日のことではありません
昨日はどこにもありません
今日悲しいのは今日のこと

……

昨日はどこにもありません
そこにあなたが立っていた
そこにあなたが笑っていた
昨日はどこにもありません



(これって、井上用水の「夢の中へ」の元ネタではないのか?

粘菌の知性

2010/02/08(月) 04:08:46 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

 ある条件の元に粘菌を置いたら、首都圏の鉄道網に非常に良く似た形のネットワークを描き出したというニュースを少し前に見た。粘菌の群全体をひとつの知性体として見たならば、人間に匹敵する判断能力を彼らは持っているのかも知れない……。

 などと考えるのは、不遜であり、傲慢である。
 太古の森の住人である彼らの集合知に類似した社会構成能力を、我々人間ごときが持っているのかもしれないと言うべきだろう。

三好達治「落ち葉やんで」より

2010/02/08(月) 01:32:15 [引用▼日本]

一つのみ時雨に赤き柘榴かな

海の藍柘榴日に日に割るるのみ
冬浅き軍鶏のけづめのよごれかな

冬といふ日向に鶏の坐りけり

微恙:ちょっとした病気

春風の眼鏡

2010/02/06(土) 03:10:53 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

一月下旬としては異常に暖かく、
三月下旬か四月上旬と同じぐらいにまで気温が上昇したその日の夜も、
私は常と変らずいつもの駅前で自分の詩集を売っていた。
突然、小太りの男性が駅の方から大きな声で私を呼んで駆けてくる。
私が以前、中野の商店街で路上活動を試みた時に、
絡んできたヤクザを取り成してくれた占い師の人である。
遠くから、一目見て、私のことだとわかったと言う。

思わぬ場所での突然の再会を喜び、互いの近況などについて話す。
その人もやはり頻繁に現れるヤクザが嫌になって、
とうとう中野では商売をやめてしまったらしい。
今はこの辺の、営業時間後の銀行前や、
電車賃はかかるが郊外まで足を延ばして仕事をしているそうだ。

今日の夜の、そしてこれからの幸運を祈り合い、
僕たちは夜の街のどこかのそれぞれの現場に散って行く。

中野で会ったときは黒縁の眼鏡をかけていたように記憶するが、
今日のその人の眼鏡のフレームは明るいピンク色だった。



その人の眼鏡のピンクのフレームは真冬に舞い込む束の間の春

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