ブレイク「忘れがたい幻想四」より2

2010/04/29(木) 00:42:09 [引用▼海外]

決して意見を改めることのない人は溜まり水の如く、心の中の蛇を生み育てる。

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ちぃばす麻布ルート

2010/04/28(水) 00:33:25 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

 冬も終わりに近づいたある日、有栖川公園の横を通る木下坂にあまり見慣れないバス停が現れた。港区内を走るコミュニティバス「ちぃばす」のものらしく、広尾駅を経由して港区役所まで連れて行ってくれるというが、路線図を見ただけではどこをどう通るものなのかイマイチ良くわからない。

 何日か立つと、そのバスが坂を下って行く姿や、広尾駅前の交差点を右折してはバス停にとまるのを目撃するようになった。駅前のちぃバスのバス停は、既にその場所にあった都バスのバス停と共用のものとなっている。このバスの運行開始を歓迎するメッセージが手書きで書かれた画用紙がガードレールにぶら下げられている。

 その名の通り本当に小さいバスの車内には、既に何人かの乗客が居る。老齢の修道女の二人組、老婆とおそらくはその孫らしき男の子、後部座席に陣取るやはり高齢者達など。外苑西通りから天現寺橋を曲がって明治通りに入ってしばらくは、新宿西口から品川駅までを結ぶ都バスと同じルートだ。車内にはモニターが二画面設置されていて、一つは次の停車情報を知らせ、もうひとつは各種注意事項や富士急グループの広報を流している。そう言えば周囲は富士急の宣伝物ばかりだ。同グループのレジャー施設が相模湖にあることをここで初めて知った。
 明治通りを品川方面に向けて走っていたバスが、左折して坂を登りはじめた。再び有栖川公園の付近、都立中央図書館側に向かって走る。「仙台坂上」でバスに乗車した腰の曲がった老婆は、すぐ次の「仙台坂下」で下車した。地元住民の日常の脚として機能しているようだ。
 坂を下る際にブレーキをかけたはずみで、運転席のすぐ後ろに座っていた男の子が前の壁に頭をぶつけた。祖母が心配している。
 
 麻布十番から六本木ヒルズに向かって走る途中でマイクロバスに抜かれる。どこの幼稚園か、もしくはスクールのものかは良く見えなかった。交通量が多い上に頻繁に停車するため、なかなか進まない。信号待ちをしていると隣の車線に止まっているタクシーの運転手と眼が合ったりして戸惑う。
 今度は六本木ヒルズのけやき坂を登る。
 こうして走ってみると、この麻布一帯がいかに急峻な丘になっているかが非常に良くわかる。地下鉄ですら回避した坂道に、小さな体躯に闘志を漲らせたこのバスは果敢に立ち向かってはまた下る。



幾度も麻布の丘に新しきいさましきちびのバス挑み行く



どれほどの険しき坂も春風に押されて登れ麻布ちぃばす



 そのたびに、春の空にほんの少しだけ近づいてはまた遠ざかる。
 今日は雲がある。

 ヒルズの地下にあるセンターループを一周する。ハイヤーや観光バスの姿が見える。
 下り坂でブレーキをかける時にこのバスが立てる「キュルキュル」という駆動音は、他のバスでは聞いたことがない独特のものだ。いかにも懸命な感じがして、好感が持てる。頼もしい。
 けやき坂を下っても、休む間もなく今度は反対側の鳥居坂を登っていく。東洋英和女学院前あたりはやっと地形も平坦で、それほど信号に妨げられることもないので、自動車らしく疾走できる。内幸町などの、港区のオフィス街に入ると、スーツを着たサラリーマンらしき人物も何人か乗り込んで来る。

 オフィスビルの磨かれたガラス面に、バスの車体どころか、その窓から外を眺めている私自身の顔まで映り込む。

 東京タワーも段々近くなって来る。

 このバスは港区役所から広尾駅までを循環しているが、区役所前が便宜上の終点とされていて、全ての乗客は一度ここで下車しなければならない規則になっている。大門駅前まで乗りたいという、東京ガスの制服を着た検針員らしき女性が運転手に不服を申し立てていたが、仕方なくその規則に従うことにしたようだ。区役所前のバス停から走り去るバスの後ろ姿を撮影しようとすると、地下を走る都営三田線のものと思われる風が足下の通風口から吹き上げて来るが、この風もどことなく春風を模倣しているかのように思える。

ブレイク「忘れがたい幻想」四より

2010/04/23(金) 02:14:33 [引用▼海外]

 

次第に底なしの淵が見えるようになる、火災を起している都の煙雲のようにすさまじい。下の方遥かのかなたには太陽が煤けながら輝き始める。そのまわりには炎のすじがあり、巨大な蜘蛛が餌食を求めつつ這いまわっていた。餌食となるものは腐敗から生じた動物の最もあさましい姿で、虚空の中を飛ぶというよりも寧ろ泳ぐようにして、空中にうようよと群がり、空気がそれらで充満しているように思われた。これらは悪魔であり、虚空の軍勢とよばれている。私はいずれが私の永劫の運命であるかを天使にたずねた。彼は言った、「黒と白との蜘蛛の間」と。
 その時黒白の蜘蛛の間に火雲湧き起り、渦巻いて虚空に拡がり、下の方を闇にした、それで下の淵は闇の海の如く、怒涛の響きおそろしく蠢く。しばらくの間、下の方は何も見えず、闇の嵐が荒れるばかりであったが、ふと雲と波との間から東方を望むと、火炎の交わった血汐の滝があり、足下からあまり遠からぬ所には鱗爛爛たる大蛇がとぐろをまいて浮き沈みしているのが見えた。遂に東から三度ぐらい離れた所、波の上に火炎のような頭が現れた。徐に、黄金の岩よりなる山の背の如き、その頭がもたげられ、紅蓮の炎の如き二つの目玉があらわれると、海の波も煙雲の如くたじろぎなびいた。我々はそれがレヴイアサンの頭であることを認めた。その額には虎の額の斑のごとく、緑及び紫の条があった。やがて我等はみた、彼の口及び赤い鰓は怒涛の泡沫の上に垂れ、暗黒の海を血汐の輝きもて染め、鬼神の如きすさまじい勢いで近付き来るを。

【映画】アイ・アム・レジェンド

2010/04/22(木) 01:58:52 [【映画】観映グゥ評]

 抗がん剤が変異したウイルスによって人類のほとんどは死に、生き残った者も理性を失った食人族となって僅かな非感染者に夜毎襲いかかる世界。ニューヨークでただ一人、まともな人間として生き残った主人公の科学者は、愛犬とともに街をパトロールしながら世界に向けてメッセージを発信し続け、また食人族を生け捕りにしてはウイルスのワクチン開発を試みる。

 無人のニューヨークをランドクルーザーで走ったり、ゴルフの打ちっぱなしを行ったりするシーンは何だか詩的。物語の序盤だけを見るならば、一種の哲学映画、思考実験映画のようにも思える。画像作成能力においては、ハリウッドは今でも一流なのだろう。(「映画制作能力」ではないことに注意!)
 SFとしては、故藤子・Fの『みどりの守り神』や『流血鬼』を思い出させるが、創作年代はそれらの作品よりも、この映画の原作である小説の方が前になる。

 見ようによっては、この設定はアメリカ白人の内面を映しているものと解釈することも出来る。つまり、「食人族=移民とか白人以外の邪悪な文化」に、「まともな人間=いわゆる白人キリスト教文化」が侵食されて滅ぼされつつあるのはけしからんと。そのような極めて人種差別的な構図を隠蔽するために、黒人俳優であるウィル・スミスが主人公にされているのかも知れない。それにしても、アメリカの滅亡=人類の滅亡(アメリカが全世界だ)と短絡的に描写したがるハリウッド映画の中では、主人公が発したラジオを聞いてアルゼンチン

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ブレイク『(古の詩人達は万象の中に……)』より

2010/04/21(水) 00:36:49 [引用▼海外]

 

古の詩人たちは万象の中に神や守護精霊を感じ、神々を呼ぶにそれぞれの名を以てし、森、河、山、湖、市、国の属性や、詩人の霊妙多感な官能が認め得た性質を以て神々を飾った。
 なかんずく、彼等は各地の都市や国家の精神に心をひそめ、その市や国を各独特な、心の中の神のもとに置いた。
 かくて遂に宗教が組織立てられ、それを利用するものがいて、市や国からこの心の中なる神を引き離し、具象化或は抽象化することによって衆俗を帰依せしめた、ここで僧侶なるものができた、
 詩的説話から宗教の儀礼を選定しながら。
 そして最後に神々がかかる儀礼を命じたと宣言した。
 かくて人々は全ての神が人間の心の中に住むことを忘れた。

恵比寿の夜に驢馬を見つけて

2010/04/20(火) 01:11:04 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

 驢馬に花を積載した花屋が夜になると恵比寿駅前に現れるという噂を耳にしてから、一度その姿を見たいものだと思っていた。その時は突然来た。まったく何気ない様子で、駅西口の恵比寿像前から横断歩道を渡って、噴水広場の方へ歩いて来る。春の夜である。体高は予想以上に低いが、やはり骨太で頑丈なその体躯は、駄獣としてかなりの重労働に耐えうる雰囲気を発している。その体毛を私は勝手に、青味がかったグレーと想像していたが、実際には薄めの黄土色であった。

 この驢馬の花屋は、フーセンアートの兄さんとは顔見知りらしく、挨拶をして通り過ぎた。

 人々が集まって携帯で写真を撮影し始めると、飼主の男性はあんまり大きく騒がないで欲しいとギャラリーに頼んで回る。あまり騒動が大きくなりすぎると警察が来て叱られてしまうのだそうだ。現実は常に僕達の想像を裏切って散文的で、この夜は詩集は一冊も売れず、また詩は一遍も思い浮かばなかった。

ブレイク「地獄の格言」より2

2010/04/18(日) 23:36:16 [引用▼海外]

馬鹿の非難も聞いてみると堂々たるものである。
もらって感謝するものは多くの結果を得る。
他の人々が賢かったなら我々が馬鹿と言われよう。
昆虫は卵を産むために一番美しい葉を選ぶ如く、僧侶はその呪いを一番美しい歓びにかける。
一つの小さい花を創造することも数代を要する仕事である。
最良の酒は古酒、最良の水は新鮮なるもの。
鳥には空が、魚には海が与えられる如く、軽蔑さるべき者には軽蔑を。
真理を語って理解さるれば信ぜられることはない。
十分に、それとも十二分に。



ますますニーチェっぽい。

たこ焼き

2010/04/18(日) 05:20:47 [短歌]

エソラ池袋前で詩集を買ってくれた若い男性が、
西口公園のワゴン車で売っているたこ焼きまで差し入れてくれた。
このたこ焼き屋の外国人男性とは知り合いらしく、
近いうちに警察の手入れがあるとか、
罰金が高くてかなわないとか何とか噂話をしている。

公園の桜の花びらが一枚風に吹かれて、
直立したまま路上を転がっていく。



焼きたてのたこ焼きがある。花冷えの冷たさ花の儚さを知る



男性は去り際に、
代々木公園で開催されるアースデーというイベントのパンフを置いていった。

ブレイク「地獄の格言」より1

2010/04/17(土) 00:20:45 [引用▼海外]

切られたみみずは鋤をとがめぬ。
永劫は生じては消える現象世界を愛している。
自己の翼を以て飛ぶ鳥は高くかけり過ぎるということはない。
死骸は復讐をしない。
愚者がその愚を固執すれば賢くなるであろう。
牢獄は法律の石で造られ、遊郭は宗教の煉瓦でたてられる。
婦人の裸体は神の御業である。
利己的な、微笑をたたえた馬鹿者と、不機嫌な、しかめ顔の馬鹿者とは、凡人を鞭撻する道具とされんがため、世間から賢者とされる。
常に心に思うことを言って憚らなければ、卑しい人は遠ざかる。
鷲は烏に学ばんと身を屈した時ほど時間の損失をしたことがない。

山頭火に和して

2010/04/16(金) 01:53:21 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

ある夜、いつものように路上で詩集を売っていたら、にわか雨が降り出した。
山頭火に和した短歌を作ってみたいと以前から思っていたので、
丁度良かった。



鉄鉢の中にも霰が降るように僕の詩集に春雨の降る

ブレイク「忘れがたい幻想」1より

2010/04/15(木) 23:41:18 [引用▼海外]

……五官の淵の表面に浮かび、現象界の上にそびえる絶壁の所に帰った時、私は大魔王が黒雲に包まれて断崖の側に佇まい、焔を以て次の句を鏤刻するのを見た。その文字は心眼のひらけた人には認められるので、かかる眼を有する人により地上においても読誦せられる。
 風を切って飛ぶ鳥の一つ一つが歓びの限りなき世界なれど、
 五官に映る形に閉ざされて汝はそを知らずや。

上野の嘆き

2010/04/15(木) 03:48:12 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

TXは秋葉に取られ、
舎人ライナーは日暮里止まり、
スペーシアは元々浅草
スカイライナーは遠すぎる。

夜行列車がまた死んで、
川の向こうのあの塔は、
東京タワーを追い抜いた。

そんな春でも、
この僕を、
せめて桜の花だけは
いつもと変わらず飾ってくれよ。

美術を愛する老嬢達と、
恐竜好きな子供達とが、
今日も明日もこの丘に、
集ってそして微笑むように。

ブレイク「悪魔の言葉」より

2010/04/15(木) 02:22:25 [引用▼海外]

すべての聖書及び聖典は次の謬見の源となった。
1、人間は二つの真実な存在の基本をもつ、その一つは肉、他は霊。
2、力は悪で肉体から生じ、理性は善で霊のみから生ずる。
3、この力に従うと神はいつまでも人間に苦悩を課する。
しかしこれに対立する次の見方も真実である。
(1)人間は霊から分離した肉体をもたぬ、肉体とは五官によって認められる霊の部分であって、現代における霊の主要な門口である。
(2)力のみが生命であり、肉体から生ずる。理性は力の限界、あるいは埒である。
(3)力はとこしえの歓びである。



ニーチェっぽい。

JR横須賀線武蔵小杉駅

2010/04/14(水) 01:28:29 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

 本来の新宿駅からはかなり南にずれているといわざるを得ないそのホームから、湘南新宿ライン逗子行きの電車に乗り込む。ドアの上部の車内掲示板と車内放送とがそれぞれ、東急東横線が白楽駅で人身事故を起こしたため運転を見合わせていると伝える。湘南新宿ライン東横線は、渋谷から横浜までの人員輸送を巡って直接的な競合関係にあるのだが、その競争は横須賀線湘南新宿ライン武蔵小杉駅開業に伴いこれからますます激化するのであろう。そう言えば、恵比寿を発車した辺りから、この電車は随分と速度を速めているように感じられる。
 大崎を出てこの電車は横須賀線に乗り入れる。しばらくの間は、昭和の匂いを感じさせる大田区の下町の景観を眺めつつ、東海道新幹線の股下をくぐって走る。西大井あたりから、新幹線の高架と並走するようになる。陽性な金属音と、視界が開ける開放感とともに多摩川の鉄橋を渡って神奈川県に入り、この春に新しく出来た横須賀線武蔵小杉駅に到着する。



 車内放送で予め教えられていた通りに、この新しい武蔵小杉駅はホームが緩くカーブして、列車とホームの間がやや広く開いている。しかしこのカーブは、並走する新幹線を撮影しようと試みる鉄オタにとってはむしろ好都合だろう。超高層マンションとNECの高層ビルに囲まれた、この空間のいかにも未来都市っぽいその「らしさ」が、新幹線が走り過ぎることによってより一層強調されカッコ良く美しいものとなる。タイミングが合えば、新幹線と成田エクスプレスとのツーショットも撮影可能だ。(自分がもしJR東日本の役員だったら、このホームの上に撮影者用の有料展望台でも作りそうなものだ。しかしそれだと、周辺のマンションの住人から、プライバシー権の侵害とかで苦情が来るかも知れない。形だけはエキナカの喫茶店か軽食店ということにしておくか?)

 この、横須賀線武蔵小杉駅の出口、すなわちJR武蔵小杉駅南口を出ると、バスループ・タクシーループが既に出来ている。やはり高層マンションに囲まれている。商店らしきものは、マンション下層階に入っているコンビニと小規模スーパーぐらいしか見当たらない。
 バスターミナルから発着している路線バスは、てっきり東急か京浜急行のものだと勝手に思っていたが、「臨港バス」という、初めて聞く会社のものだ。車体のカラーは青。「横須賀線武蔵小杉駅」と行き先名が表示されているから、ああこれは、南武線東横線の武蔵小杉駅とは明確に別物として区別しているのだなと思った。

 高層建築物が織りなす人工の峡谷の底にある小さな公園の地表を、ムクドリの小規模な群れが穿っている。
 三月の武蔵小杉にはツグミもまだ居る。



箱、箱に狭威されたる谷底で心は既にシベリアにあり

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                         ↓
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 綱島街道を渡って、東横線までのエリア一帯が、高層マンションが立ち並ぶ未来都市的空間になっている。ある程度のスペースが公園に割かれているが、やはり商店は少なく、マンション低層階のダイエーぐらいしかない。駐輪場まで何だかやたらにデザインに凝っている。そんなエリアを、東急との乗り換えのためか、スーツ姿の男女が足早に往来している。
 しかしながら、少し西側に外れると、トタン塀と屋根の町工場らしき建物が目に入る。車道には建築資材を載せた重量車用が頻繁に通り、京浜工業地帯のパーツとしての川崎市の素顔が垣間見える。



 東横線武蔵小杉駅の北側、JR南武線の西側は、いわゆる商店街が広がって、駅前にふさわしい賑わいを見せている。ラーメンセットを食べた駅前の中華料理屋で、このあたりで一番大きい本屋はどこかと聞いたらツタヤだという返答が返ってきた。武蔵小杉の駅近くにはブックオフはないらしい。まあそれはどうでも良いのだが、店を出てからメニューにサンマーメンがあるのに気付き、せっかく神奈川まで来たのだからこれにしておけば良かったと少し後悔する。
 商店街にはABCマートも、イトーヨーカドーもある。
 JRの西口のすぐ隣の大きな空き地では、重機が集って盛んに工事を行っているが、一体何が出来るのだろう?
 東急東横線は渋谷と菊名の間で折り返し運転をしているというから、まだ完全には復旧していないようだ。



 JR南武線の、いわゆる「北口」の風景はそれほど大きな変化は見られない。以前来た時と同じように「川崎市民ミュージアム」行きの東急バスがバスターミナルから発車する。
 その南武線の改札から入駅し、横須賀線まで歩くことに挑戦する。アナウンスによると、この乗り換えは平均で約八分かかると言う。南武線の「立川方面行き」の列車が止まるホームを「川崎方面」に向かってまずは歩く。そのホームを強引に延長したような通路を延々と進む。通路といっても直線ではなく、工事の都合で出来たと思われる屈曲が左右に存在し、洗練された機能性とはかなり遠い。動く歩道のような気の利いたものは無論用意されていない。
 そんな通路を、やはりスーツ姿の男女が時折駆け足で通り過ぎる。また巨大なカートを曳いた人も見られるが、これは成田エクスプレスの乗り換えの人だろう。



 横須賀線武蔵小杉駅の南側は、NECの工場とビルが占用している。少し歩くと、すぐに南武線の次の駅である向河原とその踏切と、踏切の向こうの商店街が見えてくる。横須賀線の新しい武蔵小杉駅に本当に近いのは、南武線の武蔵小杉駅と向河原駅のどちらだろうかと疑問に思えてくる。

 NECの二棟の高層ビルの上層階を繋いでいる空中回廊から眺めるこの一帯の風景は一体どんなものなのだろうか、一度見てみたい。

ブレイク「序の歌」より

2010/04/06(火) 23:35:51 [引用▼海外]

かくして険しい道に花咲き匂い、
崖に、また墓場に
川流れ、泉わき、
されこうべに紅の土が生じると

わるがしこいやからが安逸の道をすて、
むかし険しかった道を歩み、
正しい人達をまた荒野におった。

今陰険な蝮のやからは
柔和そうに しすましているが、
正しい人達は獅子のすむ
荒野に憤る。

リントラ叫び、その焔をうっとおしい空になびかすれば、
飢えかわいた雲が海のおもてに垂れさがる。

櫻花・謳歌・鸚哥

2010/04/05(月) 23:28:28 [短歌]

有栖川宮公園の櫻の樹上でワカケホンセイインコを目撃する。
もともとはペットとして輸入されたものが何時の頃からか逃げ出して野生化し、
大田区の、東京工業大学のキャンパスに群れを成して棲みついているという。
城南を中心に活動していて、日中はこのあたりまで飛来するのだろうか?



東京の櫻花の春を謳歌する南の国の緑の鸚哥



この丘の七分咲き、
現在(いま)、
犬連れた異国の人と
異国の鳥と



この鳥は花びらではなく花の根元の蜜を食するため、
櫻の花を丸ごと引き抜いては捨てていくのだと、
ウォーキングが趣味で、
気が向けば東急東横線祐天寺からこの辺まで歩いてくるという、
職場の主婦が教えてくれた。



一輪と一輪ごとに舞い降りるその五角形ほぐれぬままに



無造作に蕊ごと千切る南国のDNAの貪婪の性

ブレイク「ゆりの花」より

2010/04/04(日) 00:34:05 [引用▼海外]

しとやかなばらは刺を出し、
おとなしい羊は角でおどす、
白ゆりの花はただ愛を喜び
輝く美をそこなう刺もおどしもない。

壁紙

2010/04/03(土) 04:45:51 [【09-10】ちぃばす麻布ルート]

隣室の壁紙剥がす音もまた新しき人迎える春の音

ブレイク「つちくれと小石」より

2010/04/02(金) 23:19:19 [引用▼海外]

「愛は欲をみたそうとせず、
おのれのことは気にもかけず、
他のものに安らかさを与え、
地獄の絶望の中に天国をつくる。」

かく小さな土くれは歌った
牛の蹄に踏まれながら、
しかし小川の小石は
それにふさわしい歌をつぶやいた。

「愛はただ欲をとげようとし、
他をおのれが楽しみの犠牲とする、
よろこびは他のものの安らかさをうばい、
天国をふみにじって地獄をつくる。」

針金ハンガー

2010/04/01(木) 23:50:28 [短歌]

春になってカラス達も営巣を始めたようだが、
どこかで聞いた通りに、
その建材にはどこかから拾ってきた針金ハンガーを多用するようである。

恵比寿駅西口の風景。



春分の未だ明るき空を飛ぶ噂通りの針金ハンガー



ハンガーの針金のその細さなお際立つ青さ

午後六時



天界にかどわかされて新しき命抱ける揺り籠とされ



駅前の大樹の梢に吊るされて、
バスロータリーを
バスが一周



曲げられて春の部品に変えられて、
タクシープールに夜が溢れる

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