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【オープンマイク】シェルパvol.3に参加して来ました【ご報告】

2011/05/31(火) 23:37:29 [お知らせ・近況報告]

 江古田のPoem&Galleryカフェ「中庭ノ空」さんで開催された朗読会、シェルパVol.3(11・5・29)に参加して来ました。(前回までの「アフタヌーンティー朗読会」から呼称を変更されました。)
 当日は台風でしたが多くの方が来場され、それぞれに朗読や楽器演奏を披露されていました。
 私は「雑司ヶ谷下水道水難事件」を朗読して来ました。
 主催者の佐藤銀猫様、同店オーナーの五十嵐倫子様、
 また当日私の拙い発表を聞いて下さった全ての方に、この場から御礼を申し上げます。

 中庭ノ空さんのサイトは以下になります。
 http://nakaniwanosora.web.fc2.com/
 
 同じくブログは↓↓↓です。
 http://nakaniwanosora.blog137.fc2.com/
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特別でない個別

2011/05/31(火) 00:20:41 [短歌]

文明に生まれたからには誰しもが
特別でない
個別であるはず

串田孫一「挨拶」より

2011/05/30(月) 23:17:47 [引用▼日本]

精神的扶養家族が
いっぱいいっぱいおいでになるから
ほんとうに大変でございましょうねえ
そう申しあげますと
びんびんおつもが響きましょうねえ
けれどもお賑やかで
およろしうございますねえ
もうそろそろお怒りになりましょうねえ
お気の毒なことでございます
さようなら

徹底抗戦

2011/05/30(月) 00:27:07 [短歌]

お前らがそのつもりならこのオレも徹底的に闘ってやる

伊東静雄「夕映」より

2011/05/29(日) 23:22:15 [引用▼日本]

……そしてわたしもまた
夕毎にやつと活計からのがれて
この窓べに文字をつづる
ねがはくはこのわが行ひも
ああせめてはあのやうな小さい祝祭であれよ
仮令それが痛みからのものであつても
また悔いと実りのない憧れからの
たつたひとりのものであつたにしても

創作態度

2011/05/29(日) 00:33:31 [短歌]

どちらかと言えば一人で黙々とひたすら創り続けるタイプ

伊東静雄「九月七日・月明」より

2011/05/28(土) 23:45:37 [引用▼日本]

……耳傾くれば
わが家は虫声の
大き波 小さき波の
中にあり
…………
たちまちに
自転車の音
遥に聞こゆ
つと立ちいでし
僻耳や
草原は
つゆしとどなる月ありて
すず虫の
ただひとしきり
鈴をふる音
……わが待つものの 遅きかな

その前線

2011/05/28(土) 00:25:07 [短歌]

前線に期待がかかる
同位体ども悉く洗い流せよ

伊東静雄「そんなに凝視めるな」より

2011/05/28(土) 00:03:20 [引用▼日本]


……
鳥の飛翔の跡を天空にさがすな
夕陽と朝陽のなかに立ちどまるな
手にふるる野花はそれを摘み
花とみづからをささへつつ歩みを運べ
問ひはそのままに答へであり
堪へる痛みもすでにひとつの睡眠だ
風がつたへる白い稜石の反射を わかい友
そんなに永く凝視めるな
われ等は自然の多様と変化のうちにこそ育ち
ああ 歓びと意志も亦そこにあると知れ

空白の午前

2011/05/26(木) 23:50:56 [短歌]

誰が聞くわけでもないけど空白のただの午前の決意表明



しかし後になって知ったが、今日は二十四節季のひとつ、穀雨だった。
虚空ではない。
良く晴れていた。

伊藤静雄「帰郷者」より

2011/05/26(木) 23:23:42 [引用▼日本]

田舎を逃げた私が 都会よ
どうしてお前に敢て安んじよう

詩作を覚えた私が 行為よ
どうしてお前に憧れないことがあらう

K対策

2011/05/26(木) 00:32:31 [詩文・俳文]

K対策とは、宗教団体・某S価G会が
その内部文書において用いるジャーゴンであると言う。
Kとは、警察のことではない。
公安のことでもない。
もちろんスーパードクターのことでもない。(←このボケは古すぎてわかんないだろうな。)
ここで言うKとは、創K学Kと敵対関係にある、
もうひとつの新興宗教団体、顕正会のことを指している。

路上で活動をしていると、やはり一定の頻度で
宗教やオカルト、スピリチュアル系の勧誘に遭遇する。
創価学会の者も、
幸福実現党の者も来たことがある。
またそれらの宗教団体ではない、
精神世界系のビジネスをやっている者からの営業も受ける。
しかし、池袋西口におけるK正会遭遇率の高さは一体何なのだろう?

以前、恵比寿で路上活動をしていた時には、
エホバの証人の勧誘の外人を目撃することが比較的多かった。
これは、日比谷線で一つ隣の広尾駅の近くに、
その教団施設があることと無関係ではないだろう。
同様に、池袋西口において路上活動を行っている現在、
K正会の人間から勧誘されることが多いことにも、理由がある。
東武東上線の常盤台には彼らの教団施設があり、
東上線の池袋駅に向かう時に、この場所は通り道に当たるのだ。
逆に言えば、もし私が西口ではなく東口のどこか、
あるいはもっとサンシャインよりのポイントで活動をしていれば、
Kばかりに高確率で遭遇することは、おそらくはないのであろう。

つまりは、こういうことだ。
東は西武で西、東武という、かの池袋の法則は、
この街で呼吸する全ての存在に無意識のうちに影響力を行使し、
また起こる全ての事象を規定している。
新興宗教者も、売れない詩人も例外ではない。
そして、高く聳えるサンシャイン。
そういうことだ。

東北縦貫線の高架

2011/05/15(日) 07:56:00 [詩文・俳文]

 東京神田間の東北新幹線の高架の、上空に更に高架線を建設する工事が行われている。現在は上野駅始発となっている東北本線・高崎線・そして常磐線を延伸する「東北縦貫線」計画のものである。それらの路線の一部は、将来は池袋以南の湘南新宿ラインと同様に、東海道線と相互乗り入れを行う予定もあると言う。
 「東京駅一極集中」現象の最たるものであり、上野駅の格式低下は避け難い。かつて石川啄木寺山修司が、郷愁を幾分あざとく歌い上げた歌枕としての、東北への始発駅としての栄誉を、上野はほぼ完全に喪失してしまう。
 しかしながら、それとは別種の憐憫を、私は禁じ得ない。山手線・京浜東北線・中央線・東北・上越・長野・山形・秋田新幹線を束ねる、首都圏の鉄道網の頸動脈と言うべきこの区間を並走する電車達のどれかの車窓から、工事中のその立派な橋脚を仰ぎ見る時に、禁じ得ない。その高さは既に周囲の並の雑居ビルを圧倒している。やがてその上に高架線が渡されるのだろう。新しい線路がどこか遠くへ新しく繋がれることの高揚感が、そこには存在して然るべきである。常磐線のことを思う。幾ら東京駅まで延伸したとしても、福島県のあの沿岸地方を通っている限り、最早……。頸動脈から分岐した血流の一つは、確実に、切断されていることを私達は知っている。



新しく繋ぐレールのその先の大地は既に失われている



建設の意志も朱塗りの半径の巨大な虚無に吸い込まれていく

【映画】シンデレラ・ストーリー

2011/05/14(土) 02:25:43 [【映画】観映グゥ評]

 シンデレラをほぼソノマンマ現代アメリカのハイスクールに当て嵌めた現代の童話。田舎町のレストラン経営者の実父が死んで、継母とその連れ子に財産を乗っ取られて召使のように使われている女の子が、仮装して参加した高校のハロウィンパーティーでメル友と恋に落ちる。メル友の正体が、実はアメフト部のエースで優等生のイケメンと判明したのは良いが、主人公は自分がシンデレラだと名乗り出ることが出来ない。(ガラスの靴の代わりに携帯を落として行くのが現代的……なのか?)結局連れ子達に正体をばらされて学校中から笑い物にされるが、最後はそのアメフト王子が試合中にコートを飛び出して主人公を迎えにいってハッピーエンド。継母は遺産横領がばれて地方検事に逮捕され、二人は無事にプリンストン大学に進学する。
 特に何の捻りも無い話。この主人公は薄幸なようだが全く不幸というわけではない。アメフト王子とは別に、常に主人公をサポートしてくれる、幼馴染の眼鏡の男の子が居る(決して恋愛対象ではない。この男の子も最後に別の恋人を見つける。)また父親の代から働いているレストランのスタッフ達も、裏で色々動いて主人公を助ける。良い話だ。
 物語的には、見るべきものも特にないが、この、アメリカのハイスクール映画に出て来る「嫌な奴」の嫌な奴振りは本当に嫌な感じでいつも感心させられる。(このポジションのキャラと言えば、古くは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のビフ・タネンを思い出す。)短時間で観客をむかつかせることに成功するこの脚本と演技のテクニックは実に素晴しい。実は演技じゃないんじゃないかと思わせるぐらいだ。
 ヒロイン役のヒラリー・ダフという人はアメリカでは有名なアイドルらしい。

海辺の風力発電機

2011/05/13(金) 03:13:48 [【10-11】福島の向日葵に捧げる歌]

ゆく時は静止していたブレードが
ゆっくり回る。
西日が眩しい。

【映画】ロード・トゥ・パーティション

2011/05/13(金) 01:31:00 [【映画】観映グゥ評]

 マフィアのボスに可愛がられていた子飼いの殺し屋の主人公が、仕事の現場を息子に目撃されてしまう。以前から主人公を妬んでいたボスの実の息子が、先走ってその妻と下の息子を殺害する。主人公は生き残った上の息子を連れて逃亡し、組織に復讐を試みる。マフィアのボスは逡巡しながらも、追手の殺し屋を差し向ける。
 主人公はトム・ハンクス。追手の変質者っぽい殺し屋はジュード・ロウ。時代背景は大恐慌後、1930年代のアメリカ、シカゴ近辺。設定だけみると王道のマフィア映画。年代物のクラシックカー、男性が皆来ている三つ揃えのスーツ、そして常に暗く控えめにおさえられている画面のトーン(照明担当が優れた手腕を持っているのだろう)が、その時代の雰囲気を良く映し出している。渋くてカッコイイ。まずは映像美を鑑賞する映画。
 マフィア映画ではあるが、むしろ主人公とその息子との親子劇に焦点が当てられた作劇。その、主人公と息子の間の親子関係が、主人公とその父親的存在であったマフィアのボスとの疑似親子関係と照応され、悲劇的な様相を深めている。
 アメリカ内陸部の都市を、銀行強盗をしつつ(とはいってもマフィアの隠し預金を脅し取るだけ)、クラシックカーで疾駆するところなどは、ロードムービーの趣きもある。
 

ディズニーリゾートライン

2011/05/12(木) 04:10:45 [【10-11】福島の向日葵に捧げる歌]

 ディズニーランドが休業中だから閑散としているであろうという予想に反し、ディズニーリゾートラインにはそれなりに乗客が居る。若いカップル、ベビーカーを押した若夫婦、女性同士の二人連れ、そしてスーツを着たサラリーマン。ディズニーシーや周辺のホテル群も含んだエリアを大きく一周するこのモノレールは反時計回りの単線だ。車内はやはりテーマパークっぽい意匠が凝らされている。窓の形も吊革のリングもミッキーマウスだ。ロングシートはゆったりとしていて気持ちが良い。
 駅名が長過ぎて覚えられない。書くのも面倒である。イクスピアリの上層にある駅から乗込んで、一つ目の駅はディズニーランドの入口の最寄り駅である。この環状鉄道の内側に入場口がある。少し進むとその広大な駐車場が視界に入って来るが、当然ながらほとんど何も停まっていない。工事用と警備会社の車両が点在しているだけだ。環状鉄道の外側にはホテル群が割拠しているが、これらもおそらくはまだ休業中だろう。このホテルの外観は何という様式を真似たものだろう、ロココ調であっているだろうかなどということをぼんやりと考える。
 その次の駅はベイサイドステーションという。ここまでで、既に全体の半分を走っている。やはりここにもホテル群が待ち構えている。東京湾が望め、また広い自動車道が少しの間この列車と並行して走る。工場地帯と言うほど大げさなものではないが、前方右にガスタンクが見えて来る。
 三番目の駅の内装は、西部開拓時代の、木造駅を模したものだろうか? 女性の二人組が降車して写真を撮影している。
 そして始発駅に戻る。ここまでで20分弱である。あっけない。
 物足りないので、このままもう一周乗ることにした。
 スーツ姿の男性三人組がここで乗り込んで来る。何か打ち合わせのような話をしたり、スマートフォンをしきりに操作していたりする。
 再び駐車場エリアの上空にさしかかる。警備員らしき、制服を着た男性が二人、こちらに向かって手を振っている。車内からもそれに応じて手を振っている客が居る。警備員達は、いずれも、黄色の蛍光色のタスキをかけている。
 ベイサイドで、三人組のサラリーマンの一人が「ここです」と、声をかける。他の二人はそれに応じ、三人とも下車する。あきらかにこれから商談に赴こうという雰囲気だ。おそらくは、この辺のホテル群のどこかと取引関係がある会社の人間だろう。このリゾートラインを、ビジネス用途で使用する人間がいるとはまさか思わなかった。
 ディズニーリゾートのものだと解る何らかの建築物と、あの右前方のガスタンクを一枚の写真に同時に収めたい、つまりはツーショット写真を撮りたいと思って色々アングルを工夫したが、無理だった。
 こうして二周目も終わった。
 まだ物足りないので、このまま三周目に乗ることにした。
 そのバカバカしさに気がついたので、次の駅で降りた。
 ディズニーランドの入場口に行ってみる。閉じられている。入場ゲートにもチケット販売所にも、ほとんど人はいないのだが、そのほとんど人がいない昼間の風景を珍しがって頻りに写真を取っている人が何人かいる。もちろん私もその一人である。舞浜駅に歩いて帰る途中の歩道橋では、若い外人女性の二人組が何故だかやたらにはしゃいで互いの写真を撮り合っている。

【映画】ミーン・ガールズ

2011/05/11(水) 02:44:45 [【映画】観映グゥ評]

 16歳まで家庭教師から教育を受けたアフリカ帰りの女の子が、アメリカのハイスクールに編入し、学園のアイドル的な女子グループと行動をともにする。片思いの男の子をそのグループの女王格の少女に横取りされて復讐心を抱き、陰湿な嫌がらせと権力闘争の上にその座を追い落とす。二人の権力闘争は学園全体の女子にまで波及し、無法地帯を現出した女子生徒は全員体育館に集められ、校長や他の教諭から説教を喰らって何とか平和を取り戻す。
 基本的にはアホな話。主人公の少女の陰湿な復讐計画はとてもヒロインのものとは思えない。だがそこにリアリティがある。
 この映画を見る限り、アメリカのハイスクールにも、男女問わずスクールカースト的な序列やグループ化があって、互いに互いを監視しあいつつ同調圧力を高めあっているようだ。アメリカ社会が個性を重んじるとか、日本の社会が出る杭を打つとかいう話は、アメリカを過剰に美化した人間が広めた嘘っぱちで、基本的にこの年代のガキどもがやることはどこでもそれほど変わらないものなのだとも考えられる。そして最後はカタストロフというか、破壊に至る。(ゴールディング『蝿の王』を参照。)
 アメリカが日本と異なっている点は、そのスクールカーストに現実の世界の国際問題、人種問題、民族問題が(この映画を見る限りかなり露骨に)反映されてしまっていることだ。学生食堂の座席に出来るインド人グループ、中国系グループ、その他アジア系、中南米系、そしてもちろん黒人。人類学者が指摘するように、本当に、混ざり合わないサラダボウルのような空間だ。日本の田舎のガキみたいに、スポーツ系がもてるとか、文化系はあんまりもてないが音楽をやっている奴等は必ずしもそうではないとかいう程度の稚戯、高二病のレベルではないのだ。これは、後の人格形成に影響を及ぼすよ……。
 主演のリンジー・ローハンという女優はかなりのビッチらしい。
 この校長(黒人男性)の振舞は毅然としていて立派。

そして無人のディズニーランド

2011/05/10(火) 00:28:47 [【10-11】福島の向日葵に捧げる歌]

 京王線沿線のある街で、大戦中の不発弾が発見されたことがあった。
 その処理の際には、付近の全ての住民に避難命令が出され、鉄道も運行を停止した。
 二十四時間営業のコンビニもシャッターを降ろして閉店する様子が、マスコミによって伝えられた。
 それを見て、私はある種の安堵を覚えた。
 商業主義と資本主義の権化、年末年始も決して休むことのない消費社会の前線基地であるコンビニであっても、航空爆弾という圧倒的な暴力の前には、屈服するのであると。地域社会も伝統も労働法規もほとんど一顧だにせず、深夜にも淡々と自己を誇示し続ける無表情な経済論理の体現装置であっても、今ここにある物理的な破壊の可能性には退かざるを得ないことがあるのだと。
 東日本大震災に伴う液状化現象や停電によって、東京ディズニーランドがしばらく休業すると聞いた時に抱いた感覚も、これに近い。
 世界帝国アメリカの大規模文化宣伝機関、人類史上最も成功したキャラクタービジネスの巨大展示場、大衆化社会に極限まで適合した形態の総合芸術劇場、ティーンエイジャーとカップルと家族連れにとっての巡礼地、着ぐるみとイルミネーションに覆われた治外法権都市、記号論的消費・文化的消費の聖地も、日本列島近海の底に横たわるプレートの蠢動には敵わず、今は空白となっている。
 けれどもせっかくのその休日も残念ながら今日で終わってしまう。

【映画】スターウォーズエピソード3 シスの復讐

2011/05/09(月) 03:42:42 [【映画】観映グゥ評]

 スターウォーズ六部作の最終作。言うまでも無く制作年代は一番新しい。本作において、アナキン・スカイウォーカーがダースベイダーになるまでの経緯が明らかにされ、物語はエピソード4(つまり最初のスターウォーズ)に接続することとなる。
 血気盛んで自信家の若きジェダイであるアナキンが、次第に他のジェダイとの間に心理的な距離を感じるようになり、その隙を元老院議長パルパティーン(つまり後の銀河皇帝)によって突かれ、籠絡され、暗黒面に引きずり込まれる。その描写が、見る者を納得させる形でなされている。アナキンの置かれた、その場、その状況におけるそれぞれの判断を観客が見て、ああ、仕方がない、個々の判断はそうする以外にどうしようもなかったのかも……とある種の同情を誘うように作られている。主人公の数奇な運命を、悲劇的なものとして描くことに成功している。
 つまり本作を結末とする、スターウォーズのエピソード1~3は、青年アナキン・スカイウォーカーの青春の挫折と暗転を描く、反ビルドゥングスロマンなのである。スターウォーズ4~6が、青年ルーク・スカイウォーカーの青春(恋愛、冒険、兄的存在との葛藤、賢者との出会い、父なる敵との戦いなど)とその成長を描いた正統的ビルドゥングスロマンであるのと、明確な対象をなしている。

 物語は当然のことながら、パドメ(アナキンの妻)が双子の子供(つまり後のルークとレイア姫)を出産した後に病死し、サイボーグ化されたアナキンがダースベイダーのあの黒仮面を被る所で終わる。建設中のデススターらしき構造物をベイダーとパルパティーン皇帝が眺めるカットがラストに挿入され、エピソード4への接続感をきちんと強調している。既に完成された世界観・世界設定をきちんと尊重し、その資源をフルに活用した上で、それをより拡げ、深めることに成功している。シリーズものの映画としては模範的な作品だ。
 この接続感が与える満足感は、そうだな、ドラクエⅢをはじめてクリアした時の感じに似ているかも知れない。この世界が確実にドラクエⅠの時代にまで繋がっているあの感じ。もしくは、よりオタク的な比喩を用いれば、機動戦士ガンダムの0083に、赤眼鏡のバスク・オムが登場して、あ、これはZガンダムの前日譚なんだなと視聴者にわからせる感じ。
 
 もちろん剣劇部分、メカものの魅力も満載。個人的に気に入ったのはグリーヴァス将軍。4本腕を振り回すのがナーガっぽく(『風来のシレン』を思い出した)、また這行する時は昆虫っぽいそのギミックがカッコイイ。這行モードの時が俊足なのも良い。

 ※

 スターウォーズのエピソード4から6までが創作された時代は、現実の人類社会はまだ東西冷戦を闘っていた。日本はまだ昭和であった。これらの3作品は、かなりの程度その時代のアメリカ人の世界認識を反映している。要するにこの物語に登場する帝国とは、旧ソ連のことなのである。正確に言えば、アメリカ人及びアメリカ人と価値観を共有していた当時の西側自由主義陣営が思い描く所の、旧ソ連のイメージの投影なのである。(メカ物や制服の造形にはナチスドイツ風味がかなり入っているかも知れないが。)スターウォーズの初期三部作は、世界がまだ二元論で動いていた、もしくは動いていると信じることが出来た時代に作られたフィクションなのである。
 では、後期のスターウォーズ、エピソード1から3は? 様々な解釈が可能だろうが、このエピソード3に関して言えば、これはアメリカ国内の政局の話なのではないか? 元老院=アメリカ議会、非常時大権を与えられた元老院議長=アメリカ大統領、ジェダイ評議会=アメリカ海兵隊、もしくは海兵隊ロビイストあたり?
 精鋭部隊であるアメリカの海兵隊は強大なロビーを有し、国内政局にも多大な影響力を保持しており、陸軍や海軍出身の大統領すらしばしば手こずらせると聞いている。その政局争いがこのエピソード3には投影されているのではないか? 選ばれし特殊能力の持ち主であるジェダイ達は、任務のためにしばしば辺境の惑星に派遣されるが、その辺もなんだか海兵隊っぽい。つまりこのエピソード3は、他ならぬアメリカが悪に乗っ取られる話としても解釈可能なのである。

 細かいことを言えば、フォースの概念も前期と後期では変化しているように思う。前期、つまりルーク・スカイウォーカーの時代のフォースの力は、もっと精神論的、観念的な、当時流行のニューエイジ思想の影響を受けたような概念だった。その、アメリカ人がイメージするところの、精神世界の到達者としてジェダイは設定され、いかにもステレオタイプの東洋の神秘の体現者として、ジェダイマスターであるヨーダも登場する。(緑色の肌を持ったエイリアンとして設定されているのは、オリエンタリズムを露骨に表現するのを避けたためか?)
 ところが、エピソード1では、フォースの力の根源は血液細胞中に住む共棲生物の濃度によって規定され、ジェダイの素質もそれによって測定可能という、何とも生命科学的な説明がなされてしまうのだ。これはやっぱり、ヒトゲノム解読とか細胞メカニズム研究の進展などの、現実世界の科学的知見の進歩が、フィクションである映画のこんな部分にまで影響を与えているということなのだろうか?

液状化した街の涯てまで

2011/05/07(土) 07:04:24 [【10-11】福島の向日葵に捧げる歌]

 東京駅の地下ホームを発車した京葉線は、潮見以東において地上高架を走行するようになり、東京湾岸のバラエティに富んだ風景を見せてくれる。新木場の貯木場、高くそびえる風力発電機のブレード、竣工間近の東京港大橋の遠景、葛西臨海公園の水族館の屋根、巨大観覧車、江戸川の河口。東京ディズニーランドのエントランスや、様々なアトラクションの建造物を一通り眺めて、シルク・ドゥ・ソレイユの専用劇場を見終わったのを最後に、車窓は平板な、無味無臭の住宅地のそれとなっていく。その平凡さを明示する最初の駅が新浦安であり、凡庸さを誇示するかのように駅高架にはアトレが入っている。
 駅前広場の階段は、一部通行止めとなっている。報道の通り、東日本大震災がもたらした液状化現象のためである。また歩道の一隅では、重機が修復工事を行っている。そのタイルのある部分は剥がれ、またある部分は明らかにずれてその継ぎ目から砂がこぼれ出ている。震災から既に一月近くが経過している今となっても、砂の噴出を防ぐためであろう土嚢が、要所要所に積まれている。
 幹線道路を海に向かう。歩道には時折隆起した個所がある。街全体がやはり砂っぽいが、自治体の機能や商業活動が停止しているというわけではないようだ。昔の海岸線の残滓であると思われる堤防らしき構造物が残されていて、それに沿って住宅地の中に西に向かって入って行くと、傾いた電柱がどこまでも連なっている。高所作業用のゴンドラを装備した、関電工の工事用の車両が大量に蝟集して、修復作業を行っている。その傍を、地元の主婦らしき人物が通り過ぎる。
 そのかつての堤防を越えて、さらに海に向かって歩く。大学(明星大学?聞いたことがないぞ)や、医療機関や、研究施設や、観光用ホテルの姿が見られる一角を、今度は東に向かって入ってみる。ついに見つけた。液状化現象によって砂の層から飛び出したという、あのマンホールの姿。
 商用でこの街を訪れたのであろう背広姿の男性二人組も、その有様を目撃して驚いている。「これだよ、これ。信じられないよね……。」
 さらに進むと、巨大なショッピングセンターがある。入口付近には、やはり剥離した歩道のブロックと、土嚢とが積まれているが、基本的には郊外のどの幹線道路沿いにも普通に見られる平和な風景。その一階にフードコートが入っているのも、他と変わらない。普通に賑わっているその空間を突き切って進む。
 ホームセンターや釣具屋がある。本当にどこにでもある幹線道路沿いの商業施設だ。
 リゾート地っぽい雰囲気を演出するために、街路樹として椰子の木がこれ見よがしに植えられているこの道を、どこまでも歩いてみようと思った。歩けるところまで、どこまでも行ってみようと思った。
 靴の裏を摩擦する砂粒が、触角と聴覚とに微細な不快信号を絶えず送信し続けてくる。既にこれまでに何台も路線バスとすれ違っているが、此処まで来てあるバスの車体を改めて観察すると、何だかやけに砂に汚れている。東京ベイシティバスという会社のものだ。ファウンテンテラスホテルという宿泊施設は全館休業中で、その一階に入っているローソンも営業していない。 
 道が尽きる。海岸沿いに堤防が築かれている。そこそこの高さがあり、視界を遮る。
 登ってみるとその向こう側にはある程度の幅を持った空白の敷地があって、その先にテトラポッドと海がある。更に海に近づきたい。向こう側の敷地はかなり低く、飛び降りるのは難しい。ボロボロの木の梯子を見つける。所々釘が飛び出たその梯子を慎重に下り着地する。
 目の前には遂に東京湾があった。青天ではなかったが、船舶や飛行機が往来するその風景をそれなりに望むことが出来た。どこが船橋で、どこが幕張で、どこが木更津かまでは僕にははっきりとはわからなかったが、左側にはとにかく千葉のどこかの臨海地が曖昧に広がっていた。

【アニメ映画】銀河鉄道の夜(ますむら・別役版)

2011/05/05(木) 02:09:40 [【映画】観映グゥ評]

 80年代の高名なアニメ映画。子供の頃から何回も見ているが、そのたびに全編に漂う濃厚な死の気配に圧倒される。(私にとってのトラウマアニメ第二位か三位の位置を占める。)これでも、登場人物が猫であることによって、まだやわらげられているほうなのだろうが……。
 スタッフロールを見ると、脚本は別役実だった。今まで気づかなかった。特別協力に天退の名前がある。これも今回初めて知った。やはりどんな映画でも、見るたびにそれなりの新しい発見があるのだと思う。

 ジョバンニは薄幸な主人公だというイメージがずっとあって、それはそうなのだが、必ずしも周囲の人間関係に恵まれていないわけではない。学校の教師も放課後に暖かい言葉をかけてくれるし、母親は病身ではあるが勤労少年であるジョバンニを気遣っている。物語本編には登場しない姉も、トマトで料理を作り置きしてくれている。うざいのはザネリとその取り巻きぐらいだ。 
 むしろカムパネルラの方が、優等生としての振舞、偽善を周囲の圧力によって強制されている子供なのかも知れない。銀河鉄道に乗っている他の死者はサザンクロスで下車するのに、カムパネルラ一人だけが石炭袋に吸い込まれていくが、この石炭袋というのは虚無か犬死のシンボルではないか? どうでも良い級友のために自分を犠牲にしてしまう、一見美しくはあるが、実はそんなに意味があるとも思えない水難死。

 ブルカニロ博士は出て来ない。当然だ。

 ストーリー中に三人だけ登場する人間キャラは、あだち充キャラの目をしている。監督が杉井ギサブローだからか? ラスト以外の場面では、ジョバンニの感情表現は抑制されているが、良く見ると眼で演技をしている。そういった表現の点において、本当に優れたアニメだ。

京葉線を見直す

2011/05/04(水) 03:16:27 [【10-11】福島の向日葵に捧げる歌]

 京葉線潮見から新木場間のカーブが見せる車窓の美しさに改めて気がついた。東京湾に向かっていた車両が、大きく左に曲がって進行方向を海岸と平行に変える時に、今から走ってゆく鉄道高架の描く曲線美が、鮮やかに視界に飛び込んで来る。その美しさは、貯木場や運河や海によって風景が大きく開かれることによって、更に強調されている。
 海岸と平行に走るようになると同時に、海の反対側の車窓では、首都高湾岸線も並走する。運河と高速のある車窓風景の格好良さでは東京モノレールが高名だが、京葉線のこの辺りの眺望は、あるいはそれを超えたかもしれない。
 埋立地の遠くの方に、東京港大橋の姿も見える。完成が近いという。

【映画】グローリー・ロード

2011/05/04(水) 00:44:45 [【映画】観映グゥ評]

 テキサス州のマイナー大学のバスケットボールチームに招聘されたコーチが、黒人選手を積極的に登用し、周囲の差別的な圧力に屈せず、大学リーグ戦の決勝で名門チームを破って優勝する話。アメリカバスケ界を変えた実話を元にしているらしい。
 白黒テレビにはベトナム戦争らしき映像が映り、黒人学生がマルコムXの本を読んでいるシーンがあるから、公民権運動とかをやっていた時代の話なのだろう。アメリカのバスケ選手=黒人というイメージがある今からすると信じられないような話だが、当時の大学バスケ界には、黒人選手は3人までという不文律があったという。このチームに決勝で敗れた側の名門大学のコーチは、これ以降自らも黒人選手を積極的に使うようになりやはり歴史に名を残したという。
 黒人選手達の中にも、内気な者、女好きな者、ニューヨークのサウスブロンクスでスカウトされた者、元々エリートコースを歩んできた者、心臓に持病がある者などのバラエティがあって、それぞれに人間ドラマを演じてくれる。またチーム内での黒人選手と白人選手との対立を乗り越えるプロセスにもドラマがある。それなりにまとまっている映画だと思うが、日本では未公開の作品だと言う。まあ、この「差別を乗り越えて黒人がチームスポーツで頑張るモノ」には、『クール・ランニング』という圧倒的な名作が既にあり、それを超えるには至っていない。

「高円寺」削除部分

2011/05/03(火) 01:46:24 [【鶏肋】言葉の切れ端]

北口をずっと東に歩いて、環七に出る直前に、
座・高円寺という杉並区立の劇場が立っている。
テントを模した多面体の屋根は、
ディズニーリゾートのシルク・ドゥ・ソレイユ専用劇場をどことなく思わせるが、
機能としてはむしろ足立区の西新井にあるギャラクシティのようなものだろう。
その前のバス亭に、赤羽行きのあのバスが止まる。

ヴィレッジバンガードから聴こえてくるのは、
少し前から流行っている「相対性理論」の歌声。

その小数点以下

2011/05/01(日) 19:28:06 [【10-11】福島の向日葵に捧げる歌]

これからは小数点以下○桁に怯えて生きる国の国民

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