牧畜とダブルバインド

2014/02/26(水) 12:17:43 [【13-14】※現在工事中です]

 狩猟や漁撈と比較した時に、牧畜は精神的・心理的なプレッシャーがより大きい仕事なのではないかと考える。狩猟、漁撈、採集は、生物として最も原始的で、根源的な生存本能に基づく作業だ。あらゆる生物が、生きるためにそれを行う。爬虫類や両生類も行い、イカ(無脊椎動物)やカマキリ(節足動物)も同様に行う。そこには不自然な点、不整合な点は特に無い。その刹那的な行動には罪や自意識の概念も不要である。
 他方牧畜は、殺害するために育てる、食べるために育てるという、長期的な計画性に基づく作業だ。
 人間を含む哺乳類には、家族共同体を組織して育児を行うという行動様式が、生物的な本能としてプログラミングされている。(あるいは、鳥類も同様かもしれない。)自分より非力な他者を守りたい、育てたいという性向は、主にその役割を担う雌(女)において最も顕著であるが、程度の差はあれ雄(男)にも備わっている。またそうでなければ種の保全は出来ない。
 この、集団を組織し育児を行うという本能の部分から牧畜は派生したものであるが、またそれ故に「育児」と「殺害」のダブルバインドを牧畜の従事者は内面に抱え込むことになる。そこに罪の概念が発生し、自意識が発生する。
 「自分で育てた生物を、自分で殺害しなければならない」という根源的なダブルバインドを、合理化、正当化、説明化するロジックや価値体系を、牧畜に従事する人間は必要とした。それが世界宗教(特にセム系)の起源であり、人間と他の動物種を明確に峻別する世界観の由来である。
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