トンボを放つ、みたいな仕事

2014/02/28(金) 12:37:10 [【13-14】※現在工事中です]

 全能者として振舞うことが出来ない人間は、ペットの飼育には向いていない。何故ならば飼主には、一個の生命体であるペットの全存在を規定する義務と責任とが発生するからだ。それは第一に、力によって支配関係を確立する責任であり、その責任が的確に履行されないとそもそもただの動物はペットにはならない。飼主はペットに対して絶対的な支配者であり、またそうでなければならない。
 その上で飼主は、ペットの生命維持に必要とされる個別の具体的な要件、躾、居住、給餌、去勢、健康等に関して、全責任を負う。躾の際には自らの労力を割いて、教師としての役割を果たさなければならない。居住に際しては適切な広さの空間を準備し、そこに監禁しなければならない。給餌においては自らの財を投入して適切な糧食を準備しなければならない。去勢や健康に関しては、専門家である獣医の技術を頼むことになるが、その際にもやはり少なくない額の費用が必要とされる。
 他者に対して優越的に力を行使することを嫌悪する性格、二者以上の間で上下関係を決定し、どちらかが服従するという関係性自体を嫌悪する性格の人間は、そもそもペットの躾や調教には向いていない。
 生命体にとって最も重要な意味を持つ繁殖能力を、飼育側の一方的な都合で剥奪するのは不当であり残酷である、可哀想だと考える思想の人間は、ペットの去勢には向いていない。
 それらは全て、根本的には贅沢であり過剰消費、顕示的消費であり、不必要な娯楽に過ぎない。一個の生命の生誕から死別までを、やはり一個の生命に過ぎない人間がただ娯楽のために全規定し支配するのは、不道徳であり非倫理的であると考える人間は、ペットの飼育には向いていない。


 
 娯楽物としてのペットを嫌悪する人間が、産業としての畜産や養殖に対しても同時に否定的である必要は無い。前者に対して否定的で、後者を是認するという立場は、当然に存在しうる。何故ならば後者には、人類の生存維持に必要不可欠な蛋白質及び脂質を、安定的に大量供給するという社会的役割があるからだ。娯楽としての飼育と調教には大義を見出せなくとも、食糧生産としての飼育や殺害には大義があると考えることも、論理的には在りうるだろう。
 より高度な社会的役割を担う使役動物、例えば警察犬や盲導犬との比較においても、同様の立場を人は取りうるだろう。つまり、娯楽としての飼育・調教は非倫理的だが、治安維持や障害者補助という社会的な仕事に必要ならば、飼育・調教も是認されうると。
 そして勿論、そのような立論を根本から否定する反論も存在しうるだろう。「娯楽のための飼育」も「食糧のための飼育」も「社会的労働のための飼育」も、人間の都合によって人間以外の生命体を支配し、奉仕させているという点において全て同じではないか? それらの間に、どうして恣意的に差を設けて区分することが出来るだろうか? ここから先は、主に価値判断に基づく議論になり、おそらく永久に結着しない。仮に、娯楽としてのペットの飼主と職業的な動物の飼育者を同等に扱うとしても、前者と比較して後者にははるかに大きな重責が、精神的にも肉体的にも課せられていることは認めなければならないだろう。



 ペットの存在に対して飼主は全責任を負う義務がある以上、その死別に際して発生する諸々の現象を全て負う義務がある。それがどれほど重いものであっても、悲しみや喪失感、場合によっては罪悪感といった感情を、飼主は誠実に引受けなければならない。そうでなければ、そもそも最初からペットなど飼わなければ良いし、またその資格も無い。
 ……ペットと飼主、支配-被支配とは違った形の関係性を、他の動物と結ぶことは出来ないだろうか? 強制力を発動して躾を行ったり、監禁したり去勢したりする必要がない隣人。その死に責任を負うことが無い生命体。
 爬虫類やザリガニや魚類ならば、躾や去勢の必要はないだろう。けれども、少なくとも籠や水槽の中に監禁はしなければならない。その「死」には立ち会わなければならない……。
 以前、ベランダに置いたガラス瓶で水草を育てていた時に、知らない間にトンボのヤゴが棲みついていたけれども、あれが理想かもしれない。ある一定の時間、ただ一緒に棲んでいるだけ。然るべき時が来れば、やがて旅立つ者。
 あのような関係性だったら、全能者としての重圧を感じずに、他の生命体に対して振舞うことが出来る。何の負債も無い。拘束も無い。それでいて爽快である。日々の娯楽として充分であり、それがもし仕事だったとしたら、それは人類史上において最も清々しい職業ではないだろうか。
 親トンボが産卵したくなるようなガラス瓶をただ準備して、それをただ見守るような仕事。小さなヤゴが泳いで、少しずつ日々成長していくのを、眺める仕事。そうして春の遅い日に、羽化する彼等を見送る仕事。
 トンボを放つ、みたいな仕事。
 そんな仕事があれば良いのに。
 
 ※

 「ご職業は?」
 「トンボを放つ、みたいな仕事です。」

 ※

 大空はお前のものであるように、
 お前は大空のものである。
 風、
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