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湾岸にイングラムを見に行かなかった件について

2014/07/24(木) 22:32:39 [エッセイ]

 数年前の夏に、お台場の潮風公園に実物大のガンダムが姿を現した時には、全く素直な好奇心でそれを見に行った。その湾岸地域のロケーションを観察し、埋立地にふさわしいのは、ガンダムよりも『機動警察パトレイバー』のイングラムではないかと当時は考え、そういう内容の文章を書いた。(第三詩文集『電線上のハクビシン』所収。)
 イングラムの実物大オブジェが湾岸埋立地に登場することなど、現実にはありえないと思っていた。団塊ジュニア世代以降の圧倒的な支持を今なお受け、ゲーム・玩具産業の収益を支え続け、社会的にも大きく取り上げられるガンダムと異なり、今の時点においてパトレイバー氷河期世代の、ごく限られたクラスター(オタクと一部サブカル)の偏愛と回想の対象に過ぎないと、思っていた。
 だからこの春に、豊洲に実物大のイングラムが現れたと聞いた時には、少し意外に思った。見に行く気にはならず、結局行かなかった。良い思い出は良い思い出のまま保存しておきたい。今になって実写化なんて。
 前世紀に創作されたコンテンツの再利用(リサイクル)を延々と繰り返すだけの現在の文化産業にも、それを消費して年老いていくだけの同世代の文化的実存にも、疑問を抱かざるをえない。もちろんそれは、ガンダムパトレイバーに限った問題ではない。黄金期ジャンプマンガ、ドラクエやFFといったテレビゲームのビッグタイトル、ジブリ映画……。十年代の日本において、かなり広汎に観察される事象ではある。何故パトレイバーだけには、私はことさら過敏になってしまうのか?
 それはおそらく、私達の世代においては、、少なくとも私個人においては、ガンダムは純粋に童心において遊ぶコンテンツであったのに対し、パトレイバーは思春期の多感な時代に吸収した物語だったからではないかと内省する。つまり、ガンダムは、主に小学生時代に、プラモデルやSDガンダムのカードダスやシミュレーションゲームにおいて消費するコンテンツであった。パトレイバーを見たり読んだりしたのは、内面的にも社会的にも意識が拡大する思春期だ。(媒体も思春期にふさわしく、少年サンデーだ。)西ドイツの国境警備隊のレイバーが登場するフィクションと並行して東西ドイツが統一され、東南アジアのPKOで部下を失った自衛官がテロリストとなる映画と前後して、現実のカンボジアPKOでも自衛官の犠牲者が出る。もちろん、ロボットアニメというジャンルの制約内における表現ではあるが、それなりの社会性と同時代性がパトレイバーには刻印されており、また十代の拙い思考回路なりに、それを把握しようとした当時の自分自身が、この作品を見る時には必然的に投影されてしまう。
 そうではないパトレイバーなど、パトレイバーではない。少なくとも、私にとっては。



時代とは非情なるもの誰も皆そのままの君ではいられない



 特車二課は、東京湾岸のどの自治体に所在しているのだろう? 江東区か港区か? それとも品川区か? まさか大田区ではないだろうと思うが。
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