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文学的ですね?

2011/12/01(木) 05:20:47 [詩文・俳文]

 ある職場で知り合った人が、煙草臭いというクレームを客から受けたと凹んでいた。
 慰めるつもりで、煙草臭いのがダメだったら、女性職員の香水の匂いももちろんダメなはずですよねと言ったら、唐突に「その考え方は文学的ですね」と返された。自分の今の発言のどの辺が文学的なのか、全くわからなかったので訊くと、煙草と香水を等価値なものと見做せる思考方法が文学的なのだと言う。それはむしろ理系的なのではないかと発言した当人としては思ったが、別に言い返したり議論したりする必要も無いのでそのまま受け流した。人から文学的と評されて悪い気分はしないのだが、もっとも相手の方も、柴田宵曲『俳諧博物誌』を読む休憩時間の私の姿をたまたま目撃して、何となく思いつきでそのように言ってみただけなのかも知れなかった。お勧めの文学者を聞かれたので、井伏鱒二と素直に答えたが、自分が影響を受けたのはその小説ではなくその詩であることを伝えなかったのは明らかな説明不足であったと後になって思った。

詩人のタイプが変わる

2011/10/14(金) 06:48:53 [詩文・俳文]

 オープンマイクや朗読会といったイベントに参加するようになってまだ日が浅い人間であるが、それでも私はそれなりにパフォーマンス形態の変化を感じている。この種のイベントの存在を私が初めて知った頃は、書籍形態のいわゆる普通の詩集や、プリントアウトした自作を読む出演者がほとんどで、ごく稀に、携帯のモニターを読む人間が居る程度だった。しかし最近、アイパッドやスマートフォンをステージ上で用いる人の数が、やはり増えて来たように思う。グーテンベルク以降最大と言われる、全地球規模のメディアテクノロジーの革新の一局面が、これらのささやかなイベントにも波及して、詩人のタイプも変化しつつあるということだろうか? 紙に印刷された活字に基づいて表現する詩人は、結局のところ植物由来の繊維に依拠しているということだから、「くさタイプ」に分類されるだろう。アイパッドやスマホを用いる詩人は、もちろん「でんきタイプ」である。くさタイプだったものが、進化してでんきタイプになる、そんなポケモンって、居ただろうか? 記憶に無い。

練りからしが無い時

2011/10/12(水) 06:25:34 [詩文・俳文]

 おでんを食べようと温めた後に、からしが無いことに気がついた。
 激しい雨が降っている。外出したくない。
 熟慮の結果、納豆のパックから辛子だけを取り出して集めるアイデアが閃いた。
 この時ばかりは、さすが自分と思った。自分で自分を褒めてやりたい。
 

遠いヒグラシ

2011/10/01(土) 04:21:53 [詩文・俳文]

 他のどの蝉達と比べても、ヒグラシの鳴く声はひときわ高く遠い所から降って来るように聴こえてしまうのは、この公園を歩く通行人も詩集を売っている僕もまだまだ夏服を着ているからなのだろうか?

反ペデストリアンデッキ小論

2011/09/10(土) 03:08:53 [詩文・俳文]

 鉄道駅もしくはその付近の建造物のすぐ脇の、線路と並行に走るそんなに広くもない道路に、バスが半ば強引に進入してくる風景が好きであることに最近になって気がついた。接触事故を防止するために、バス会社の係員が人参棒を懸命に振って誘導に努めている側を歩行者が通り過ぎたりする一コマに、街の雑然とした生命力を感じる。だから、例えば吉祥寺では北口より南口の駅前の方が好ましい。一昔前の小田急沿線あたりには、割とそういう感じの駅があったように思うが、今はどうなっているのか良くは知らない。
 これに反して、ペデストリアンデッキは、明らかにその駅前の風景を平板化し画一化してしまうと思う。歩行者と、バスやタクシーのターミナルが完全に上下に分離するのは確かに機能的で、乗降客が多い駅では必要とされる工事なのだろう。デッキ上は車両に妨げられずに歩行者だけを確実に捕捉できる場所なので、ストリートミュージシャンや路上詩人にとっては活動がしやすいという側面も確かにある。しかしその空間からは、バスと歩行者のように異なるスケールの動作主体(プレイヤー)の動線が交錯することで発生する躍動感が失われている。
 北千住駅の西口にペデストリアンデッキが出来たことによって、駅のすぐ横にあった「笹陣」という立ち食いソバの旨い店が影に隠れてしまい、ほどなく閉店してしまった。それはもうゼロ年代の半ばのことであり、この文章を書いている最中に不意に思い出した。それなりに並べてみた小理屈の下に、小さな食べ物の恨みが隠れていたようである。

俳句形の記憶

2011/08/31(水) 01:45:42 [詩文・俳文]

 人生で最初に作った俳句は、どのようなものであったかはっきりとは覚えていない。
 人生で最初に覚えた俳句も、どのようなものであったかはっきりとは覚えていない。
 しかし人生で最初に書いた俳句形の文字列が何であったかは、覚えている。
 それが何であったかは覚えているが、その字面は全く記憶していない。
 そしてそれに意味は最初から存在しない。
 ドラクエⅠの復活の呪文である。

一緒に行けない

2011/08/17(水) 03:01:42 [詩文・俳文]

サンシャイン水族館のリニューアル何故あの人と一緒に行けない

袋小路は辛い

2011/08/09(火) 04:56:09 [詩文・俳文]

袋小路は辛い。
袋小路は嫌だ。
ある誰かにとっての終着点が、
他の誰かにとっての出発点であるのが、
人間が居る場所の、本来の姿だろう。
そうでないと、経済も歴史も成り立っていかないじゃないか。

袋小路は辛い。
袋小路は嫌だ。
見沼代親水公園は、そんなに辛くなさそうだ。
穏やかな水流に沿った公園が、何キロかにわたって整備されている。
西高島平は、正真正銘本当に辛そうだ。
自殺の名所とされてしまったのも頷ける。
光が丘は、まだ諦めてはいけない。
大江戸線は更に西に延びる可能性をまだ無くしてはいない。
西馬込には、行ったことが無いからわからない。

袋小路は辛い。
袋小路は嫌だ。
半島の先端であるとか、島の端であるとか、
地理的・地形的な理由で線路が途切れている場所には、
船やバスなどの別の交通手段が存在しているのが通常だ。

袋小路は辛い。
袋小路は嫌だ。
常磐線

袋小路は辛い。
袋小路は嫌だ。
ある誰かにとっての終着点が、
他の誰かにとっての出発点であるのが、
人間が居る場所の、本来の姿だろう。
そうでないと、経済も歴史も成り立っていかないじゃないか。

常磐線
聞いたこともなかったカタカナ表記の元素どもによって
あの日から突然強いられた切断。

壊滅的な三陸沿岸において、
それぞれに困難を克服して鉄路が再び開け始める頃になっても、
この道だけは、いつまでも袋小路。

どこにも行くことが出来ない。

「次の列車の発車予定時刻は、
半減期の経過後となります。」
「赤い円の外側で、暫くお待ち下さい。」

この道を再び通って人々が仙台に到る頃には、
大江戸線なんかはとうに、埼玉のどこかで武蔵野線と接続しているだろうよ。

カマドウマであった

2011/08/08(月) 01:17:12 [詩文・俳文]

 乱雑に積まれた本の隙間からその時姿を現した茶色いその昆虫は、北海道以南の日本の家庭において日常的に目撃される、平板な体型を光沢に輝く羽根で包んだ、俊足を誇る例の、あのアレではなかった。むしろ立体的な縦長の流線形のフォルム、馬の尻尾の毛のように長い触角をたなびかせ、羽根はなく、唯一の移動手段である後足だけがただ自らを主張する。
 カマドウマである。
 飛翔力も歌唱力も放棄し、ただ一点、驚異的なその跳躍力のみに自らの全実存をかける、直翅目(バッタ目)の中でも特に潔癖なこの昆虫の生態が、実は嫌いではない。二本の触角の長い曲線と、前傾姿勢の胴体が緩やかに描くカーブ、そして強靭な脚の三角形の組合せはシンプルで洗練されていてある種の美しさがある。どこから入って来たものかもわからないが、彼/彼女の姿をこの部屋で発見してしまったせいで、この夏はゴキジェットもアースノーマットも自ら禁じることとし、ゴキブリホイホイのみを頼むこととなった。

大声は誰にでも出せる

2011/08/07(日) 00:32:24 [詩文・俳文]

大声は誰にでも出せる。
だからこそ、声が大きいだけの人間に、なってはならない。
都合の悪い事を、
大声で誤魔化したり隠したりする人間になってはいけない。

けれども、特に現代においては、
小さ過ぎても本来伝わるべきことが伝わらない。



 大学一年の時に強引な勧誘を受けて、人間のクズばっかりの、低劣な合唱サークルに入会させられた。不愉快なことしか無かったので暫くしてやめてしまったが、今思えば、ボイストレーニングぐらいは、少しは真面目にやってやっても良かったかな。

役に立つ時計

2011/08/05(金) 01:03:00 [詩文・俳文]

五分遅れの時計がある。
常に五分遅れているため、正確な時刻を指し示すことは全く無い。
しかし、予め五分遅れていることを知った上で使えば、時計としての用を為す。

静止した時計がある。
完全に静止しているため、一日に二度正確な時刻を指し示す。
しかし、時計としては全く用を為さない。

アカとしては偽物だ

2011/08/01(月) 01:03:00 [詩文・俳文]

地縁・血縁・伝統・家族・共同体の連続性を切断し、
ただ理念と理論とに忠実な社会を設計し構築しようというのが、
共産主義の本来の在り方だったはずだ。
その、直接間接の暴力性と、
自身の理論を普遍的であると標榜し拡張していく貪欲によって、
かつて世界人類の半分から恐れられた、
そのはずだ。

だからソ連においては、
グルジア人スターリンが最高権力者になることが出来た。
スターリンの後継者は、
ウクライナ人フルシチョフであった。

だから北朝鮮において
金日成の後継者がその長男の金正日と決定された時には、
人民共和国仲間である東ドイツさえ嘲笑った。
金正日の後継者は、金正雲というやはりその息子らしいが、
今はもう、嘲笑う人民共和国仲間自体が存在しない。

あの国は、共産主義国家を僭称してはいる。
しかし実態は全くそうではない。
もっとこう、人類史上例を見ない別のグロテスクな何者か……。
少なくともアカを自任するのなら、
自分の息子を後継者に選んではいけない。
アカとしては偽物だ。

あの人は、赤旗に描いたマンガでデビューしたという。

あの人は、映画監督としては本物だ。
アニメーション作家としては本物だ。
ロリコンとしては、間違いなく本物だ。
軍オタとしては、間違いなく本物だ。
環境保護運動家としては、ちょっとわからない。

だが、才能の無い自分の息子に映画監督をさせるのは良くない。
アカとしては偽物だ。

廃物くん

2011/07/24(日) 23:33:40 [詩文・俳文]

はーい はいはい
はーい はいはい
愉廃 痛廃 廃物くんは
廃物ランドのプリンスだい

可廃子ちゃんには よ廃けど
悪魔 廃獣 なんでもこーい なんでもこーい
(以下略)

またロボットアニメかよ

2011/07/20(水) 01:23:33 [詩文・俳文]

性懲りもなくまた人型かよ。
脚を狙え。
ビッコになったら、
ただの鉄クズだ。
(宇宙空間ならどうかな?)
宇宙空間だったら、
ますます二足歩行の必然性などないだろうが!

この国は見てくればかりに拘ってきたから、
原発事故に対応出来る
実用ロボを作れなかったんだ。

またお偉いさんの息子かよ。
コネかよ。
いい加減パイロットぐらい、
試験と実技で選抜しろよ。
自動車免許以下じゃねえか。

またロボットアニメかよ。
まだロボットアニメかよ。

毒と棘

2011/07/12(火) 00:30:46 [詩文・俳文]

 河豚はその体内に蔵した毒によって、針千本はその表皮に纏った棘によって自らを守っている。
 しかしその守っているということの内実、意味、守る対象は大きく異なっている。
 針千本の棘はその外見の通り、外敵から個体としての自分自身を守る役割を果たす。しかし河豚の毒はそうではない。ある一匹の河豚の、その内臓に蓄積された毒が発動して捕食者を毒殺する時、その河豚自身は既に捕食者の胃の中で死んでいる。もちろん、その死は無駄ではない。捕食者を一匹中毒死させることによって、未来において仲間の河豚が殺される可能性を少し減少させている。
 そのことの繰返しで、いつしか外敵達は河豚を避けるようになった。
 つまり河豚の毒は、外敵から自分自身を守るものではなく、河豚という種族全体を守る役割を果たしている。だから針千本は個人主義的な魚で、河豚は共同主義的な魚なのである。

マンボウとバニラ

2011/07/09(土) 03:13:27 [詩文・俳文]

 人間における視覚は選択と集中による情報収集をその特性とする感覚であり、聴覚は包括と網羅による情報収集をその特性とする感覚である。つまり人は、見たいものだけを見ること、見たくないものを見ないために眼を閉じることは出来るが、聴きたい音だけを聴くことや、聴きたくないものを聴かないために耳を閉じることは出来ない。睡眠時において眼は蓋をされているが、耳は常に開かれている。
 選択と集中のために人間の眼は顔の正面にあって二つとも同じ方向を向いている。そのことによって人間は既知の対象物を精密に観察出来る。包括と網羅のために人間の耳は顔の両側でそれぞれ反対方向を向いている。そのことによって未知の異変を全方位から知覚しうる。
 そのようにして、人間の視覚と聴覚は役割分担をしている。
 これが他の動物だったら、例えば馬のように眼が一八〇度逆についていたり、兎のように耳が二つとも同じ方向を向いていたりする場合もある。それぞれが置かれた環境や辿って来た進化の過程において視覚と聴覚の役割分担が人間とは異なっていたため、それぞれに必然性をもってそのような形状となったのである。当事者達にとっては特に不思議もなければ不便もない。

 しかしながら、テクノロジーによってこの自然的な役割分担が変更される場合がある。二〇世紀の後半において、日本のある電機メーカーが携帯音楽再生機(ウォークマン)なるものを発明した。音楽を個人的にどこにでも携帯出来る小型電機製品である。当初はカセットレコーダーであったが、技術の進歩に伴いCDやMDプレイヤーになり、現在は電子化された音楽ファイルを出力する端末がその後継の位置を占めているが、根幹は変わらない。 これらは皆、聴きたい音楽を聴く道具であるが、同時に聴きたくない音を遮断する道具でもある。つまり聴覚の自然的な分担範囲である、包括と網羅を否定して、選択と集中を行わせる技術である。
 人々の聴覚が包括と網羅を拒否して、選択と集中に閉じ籠ったならば、次は何が起きるだろうか?
 選択と集中を本来分担していた視覚に、包括と網羅を担当させるのが、情報発信者としては最も合理的な戦略である。
 つまり、人々が好むと好まざるとにかかわらず、その視界内に強引に飛び込んでいくしかない。
 こうして、人々がイヤホンを装着しながら歩く現代の街には、やたらに自己主張が強くて下品な看板や、巨大なハイビジョンが大量に溢れるようになった。日本の都市の景観は他の先進諸国と比べて圧倒的に醜いと言われることがあるが、その醜さは日本がウォークマンの発明国であることと無関係ではないだろう。

 そして、視覚的にも聴覚的にも最も低劣で空虚な、ラッピングトレーラー
 繁華街の車道を徘徊する彼らの中でも、新宿ならマンガ喫茶マンボー池袋なら高収入女性求人サイトのバニラ、この二つは余りにも頻繁に目にする。後者の宣伝ソングなど遂に覚えてしまった。何度も視界に入って来るので、この歌を歌っているのは誰なのか、声優さんがアルバイトでもしているのか、そんなことを考えているうちに思考が迷路に入って、視覚と聴覚についてこんな思いを巡らすことになってしまった。
 目覚まし時計は聴覚によって睡眠からの覚醒を促すのだから、耳覚まし時計と呼んでも良さそうなものだと思う。

狂った時計を見たことが無い

2011/07/06(水) 01:43:02 [詩文・俳文]

 狂った時計というのを見たことが無い。皆さんはあるだろうか?
 ずれた時計を見たことはある。本来の時刻から数分、あるいは数時間遅れたもしくは早い時刻を表示する時計である。しかしそれは、狂っているわけではない。いくらかずれた時刻を、正確に、刻み続ける時計である。機械の構造の問題か動力の問題か、あるいは最初の時刻設定が雑だったのか、原因がそれぞれにあって幾らかの不正確さが生じてはいるが、そのことを以て狂っているとは言えない。厳密に言えば、私達の周りには、むしろ、全くずれていない時計の方が珍しいのではないか?
 狂った時計は、もちろん止まった時計とも異なる。
 狂った時計というのは、いきなり高速で動きだして1時間を30分で一周したり、時刻を逆様にカウントダウンしはじめたり、あるいは全くのランダムに表示したり、時計であることを放棄して数字以外の何かを指し示したり、意味不明の映像を映し出したり、暴れだしたり、爆発したり……。
 狂った時計というのを見たことが無い。私は無い。

ノウノトリ

2011/06/27(月) 01:38:26 [詩文・俳文]

僕の脳の中を鳥が駆け抜ける。
鳥が落とした影こそが僕の詩である。

ある中間報告

2011/06/23(木) 07:26:53 [詩文・俳文]

水道の詩を書いた。
……正確には、マンホールで事故死した作業員の詩を書いた。
電線の詩も書いた。
……正確には、電線を渡って行く小型哺乳類の詩を書いた。
しかしながら、未だガス管の詩を書いていない。
書こうとも思わないし、書ける見込みもない。
その理由は多分、都市空間においてマンホールや電線は眼に見えるのに対し、
ガス管は見えないからだと思う。
見えないものを捉える事が出来ない、私と言う人間の底の浅さである。
私は街の表層しかみていなかった。
反省である。

もう一つの「もう一つの世界」

2011/06/21(火) 03:23:39 [詩文・俳文]

 自分はこんな場所に居るべき存在ではない、ここではないどこか遠くに、もっと自分にふさわしい、素晴しく輝く世界があるはずだという思いに、人はしばしば捉われる。それは年齢による場合もあるし、個人的な問題による場合もあるし、政治思想や特定民族に対する抑圧、飢餓や貧困といった、社会的な問題によることもある。
 その「もう一つの世界」は、ある時は地理的な遠隔地として、ある時は平和な社会として、ある時は裕福な文明として夢想される。
 約束の地への脱出を夢見て努力することが、人を成長させることがある。社会を変えることがある。新しい世界、新しい可能性に向かって自らを投げ出す意志は、人を変え、そして世界を変える重大なモーメントとなりうる。反面、その夢想が生活圏に対する怠惰へのエクスキューズとして機能してしまい、堕落させることもある。
 しかしいずれにしても、人はある時ひとつの結論に到達する。ここではないどこかなど存在しない。今、眼前に広がるこの世界こそが、自分に与えられた世界の全てなのであると。その認識は、成熟、喪失、挫折などと表現される。
 本当に、そうか? 「もう一つの世界」は、本当に存在しないのか?
 そうではない。
 「もう一つの世界」がどこか遠くに存在するという想像が、間違っていただけ。
 「もう一つの世界」は、現前するまさにこの世界の中に、並行して存在している。
 ただ、それに気付かないだけ。
 私達の世界には、例えば肉眼では見えない細菌達や、小鳥や小動物達が、それぞれに独自の世界観と限界に基づいて存在し、活動を展開している。人々の集合意志の具象化としての文明が産み出した、交通やインフラ系統がそれ自身が自律した巨大な生物のように作動し、複雑化し、変革し続けている。そのような、それぞれの世界の積層の一部分として、私達の見ている世界もまた存在している。
 「もう一つの世界」は常に在る。
 その現実を、多くの人は理解していないだけだ。
 その価値を、知らないだけだ。
 美しさを、感じ取れないだけだ。

象尾

2011/06/18(土) 02:40:19 [詩文・俳文]

憎悪!
憎悪!
憎悪!
憎悪のゾーン!!

憎悪×
象尾?
象尾○
象尾のターン!∪☆£

前進

2011/06/17(金) 03:38:01 [詩文・俳文]

過去を悔やんでもしょうがない。
今は、
一人でも多くの人に、
私の表現を見てもらうことだ。
一冊でも多く、
私の詩集を売ることだ。

ただ進もう。
それだけだ。

強すぎる憤怒

2011/06/16(木) 07:55:55 [詩文・俳文]

僕の憤怒の炎は時々とても強過ぎる。
同位体をどれほど含んだ雨でもそれは消せないだろう。

池袋の運命論者

2011/06/14(火) 02:11:11 [詩文・俳文]

 池袋の西側でも特に殺風景な、警察署と消防署が立地している区画から住宅街に入る道路が整備され、立教大学の裏手を通って山手通りにまで至る綺麗な車道が出現した。歩道も広く、自転車専用レーンも設置されている。
 春になって、その道路沿いに、東武スーパーが出現した。この場所にスーパーが出来ることは、西池袋~目白付近の住人の利便性に適うものであり、妥当である。店の前の歩道では様々なチラシが配られ、政治家がしばしば街頭演説を行っている。
 明るく賑わう、住宅街の普通のスーパーの風景である。奇異な所は特にない。
 しかし、何故東武なのか、ある日ある時私は気づいてしまった。
 「東は西武で西、東武」!
 改めて考えると、東口を進んだ、サンシャインの隣の少し奥まった所には、確かに西友がある。
 かのビックカメラの呪縛は、私鉄駅の配置や駅前デパートの立地のみならず、こんなところにまで影響力を及ぼし、あくまでも対象性(シンメトリー)をこの街の空間に強いるものなのか! 自分自身をオートマチックに拡大再生産し、現出しようとする、論理(ロゴス)そのものに内在する生命体のごとき力。(いや、むしろ言霊的か?)
 違法駐輪撤去のパトロールよりは、その影響範囲(ゾーンオブコントロール)はおそらく広い。
 東武の裏にある全日食チェーンの小型スーパーの経営が少し心配になる。

サンゼロゼロゼロゼロゼロゼロゼロゼロ

2011/06/09(木) 00:30:12 [詩文・俳文]

攻撃能力も無く、
一撃必殺の毒素を隠し持つわけでもない。
外界からの脅威に対して、
全く無防備に、
海流の赴くままに大洋を漂う、
受動的な生命体であるこの硬骨魚類は、
しかし一度に三〇〇〇〇〇〇〇〇匹もの稚魚を、
未来に向かって送り出すと言う。
この数字は、何者によっても破られたことのない、
脊椎動物中の世界記録(ワールドレコード)であると言う。

サンゼロゼロゼロゼロゼロゼロゼロゼロ。
その圧倒的な数量こそが、
牙も、
刺も、
毒も、
所有しない彼/彼女の示す攻撃性であり、
世界に対する挑戦なのである。
三〇〇〇〇〇〇〇〇!
喰えるものなら喰い尽してみろ!
弱肉強食の理論、劣者必滅の法則に対する別次元からの刃。
淘汰圧力に抗する絶対値としての強靭さ!

三〇〇〇〇〇〇〇〇!
この、
マンボウ的な、
マンボウ性に、
倣う努力が僕達にも必要ではないか?
(懐かしの北杜生的な意味ではない。)
酷薄な、生存競争の世界に対して、
圧倒的な数量で自らを暴露し、散布し、投企し続ける意志。
彼らが伝えるのは遺伝子(ジーン)。
僕らが伝えるのは、詩(ミーム)。
出アフリカ以降の、酷薄な人類史の総計において、
果たして三〇〇〇〇〇〇〇〇もの詩篇が綴られたであろうか?

K対策

2011/05/26(木) 00:32:31 [詩文・俳文]

K対策とは、宗教団体・某S価G会が
その内部文書において用いるジャーゴンであると言う。
Kとは、警察のことではない。
公安のことでもない。
もちろんスーパードクターのことでもない。(←このボケは古すぎてわかんないだろうな。)
ここで言うKとは、創K学Kと敵対関係にある、
もうひとつの新興宗教団体、顕正会のことを指している。

路上で活動をしていると、やはり一定の頻度で
宗教やオカルト、スピリチュアル系の勧誘に遭遇する。
創価学会の者も、
幸福実現党の者も来たことがある。
またそれらの宗教団体ではない、
精神世界系のビジネスをやっている者からの営業も受ける。
しかし、池袋西口におけるK正会遭遇率の高さは一体何なのだろう?

以前、恵比寿で路上活動をしていた時には、
エホバの証人の勧誘の外人を目撃することが比較的多かった。
これは、日比谷線で一つ隣の広尾駅の近くに、
その教団施設があることと無関係ではないだろう。
同様に、池袋西口において路上活動を行っている現在、
K正会の人間から勧誘されることが多いことにも、理由がある。
東武東上線の常盤台には彼らの教団施設があり、
東上線の池袋駅に向かう時に、この場所は通り道に当たるのだ。
逆に言えば、もし私が西口ではなく東口のどこか、
あるいはもっとサンシャインよりのポイントで活動をしていれば、
Kばかりに高確率で遭遇することは、おそらくはないのであろう。

つまりは、こういうことだ。
東は西武で西、東武という、かの池袋の法則は、
この街で呼吸する全ての存在に無意識のうちに影響力を行使し、
また起こる全ての事象を規定している。
新興宗教者も、売れない詩人も例外ではない。
そして、高く聳えるサンシャイン。
そういうことだ。

東北縦貫線の高架

2011/05/15(日) 07:56:00 [詩文・俳文]

 東京神田間の東北新幹線の高架の、上空に更に高架線を建設する工事が行われている。現在は上野駅始発となっている東北本線・高崎線・そして常磐線を延伸する「東北縦貫線」計画のものである。それらの路線の一部は、将来は池袋以南の湘南新宿ラインと同様に、東海道線と相互乗り入れを行う予定もあると言う。
 「東京駅一極集中」現象の最たるものであり、上野駅の格式低下は避け難い。かつて石川啄木寺山修司が、郷愁を幾分あざとく歌い上げた歌枕としての、東北への始発駅としての栄誉を、上野はほぼ完全に喪失してしまう。
 しかしながら、それとは別種の憐憫を、私は禁じ得ない。山手線・京浜東北線・中央線・東北・上越・長野・山形・秋田新幹線を束ねる、首都圏の鉄道網の頸動脈と言うべきこの区間を並走する電車達のどれかの車窓から、工事中のその立派な橋脚を仰ぎ見る時に、禁じ得ない。その高さは既に周囲の並の雑居ビルを圧倒している。やがてその上に高架線が渡されるのだろう。新しい線路がどこか遠くへ新しく繋がれることの高揚感が、そこには存在して然るべきである。常磐線のことを思う。幾ら東京駅まで延伸したとしても、福島県のあの沿岸地方を通っている限り、最早……。頸動脈から分岐した血流の一つは、確実に、切断されていることを私達は知っている。



新しく繋ぐレールのその先の大地は既に失われている



建設の意志も朱塗りの半径の巨大な虚無に吸い込まれていく

虫は悪に強い

2011/04/23(土) 00:19:14 [詩文・俳文]

悪って何?
「あく」って何なの?

「あく」とは、主に「エスパー」に対抗するために設定された、
ポケットモンスターのタイプの一。
初代のポケモンで、エスパータイプのポケモンが、
あまりにも強すぎたため、ゲームバランスを取るために、
二作目以降から新しく導入された。

だから「あく」は「エスパー」に強い。
それはわかる。
悪人には精神攻撃なんて通用しないからだ。

他方、「あく」は「かくとう」に弱い。
これもわかる。
悪人には鉄拳制裁が有効であるからだ。
そして「あく」は「むし」にも弱い。
……何故?

「むし」は「エスパー」に強い。
確かに、虫には精神攻撃なんて効果が無い。
「むし」は「かくとう」にも強い。
虫に巴投げや空手チョップはあまり効きそうにない。
けれども「むし」が「あく」に強いのは、何故なのだろう?

「むし」=仮面ライダーだから。
というのが、私が聞いた最も鮮やかな回答である。



アダルトビデオのジャンルの一つに、
虫姦モノというジャンルがあると聞いた。
噂だけで、その実物を鑑賞したことは無いのだが、
おそらくは、獣姦モノをさらにエグくしたような趣向で、
何の虫かはわからないが体中を這いまわったり、
乳房を噛んだり、膣内に侵入したりするのだろう。
その虫姦モノに出演したAV女優の自殺率は、
非常に高いものであるのだそうだ。

ハッハッハ。
現実でも「むし」は「あく」に強い。
ハハハハ。

……悪って何?
「あく」って何なの?



津波にさらわれた水死体にフナムシや蝦蛄が群がる時に、
たかが悪ごときが介在するいかなる余地があろうか?

道玄坂の夜は迷宮

2011/04/17(日) 03:00:43 [詩文・俳文]

道玄坂の夜は迷宮。
何度も行ったあの店に
何時までたっても辿り着けない。
坂と路地とが絡まりあって、
方向感覚狂わせる。

道玄坂の夜は迷宮。
男と女とすれ違う。
一刻も早く獣に戻って、
相姦い(まぐわい)合いたい
二匹の速足。

そのヒールの音が、とても耳障りだ。

道玄坂の夜は迷宮。
またカップルとすれ違う。
女の顔をちらりと覗く。
何だ、大して、可愛くもない。

この豚骨ラーメン屋の角を曲がるのも、もう何度目だろうか?

道玄坂の夜は迷宮。
見覚えのある大きな地蔵。

以前読んだルポルタージュによると、
この地蔵の周辺は、かつて東京電力のキャリアOLが、
帰宅後に売春を行っていたスポットらしい。
慶應卒のそのOLは、お客の誰かに殺されて、
容疑者だったネパール人は、一体どこで何をしている。

禍禍しい街だ。

春の夜風はまだまだ冷たい。

原発事故の支援のために
日本に呼ばれたフランス企業の、
CEOは女の人だ。

そんなことはどうだっていいだろう。

ああ、詩の朗読会に遅刻してしまう。

震災と内省

2011/04/01(金) 00:19:10 [詩文・俳文]

 阪神淡路大震災を、私は西日本の田舎で経験した。私個人としては特に被害や怪我があったわけではないが、まあそれなりの振動を体験し、またいくら田舎であるとはいえ、社会もマスメディアもそれなりに動揺を示していたはずであるのだが、その記憶がほとんどない。当時の私は高校三年生、大学受験を目前に控え、受験勉強にただ集中していた。真剣であり、必死であった。このクソ田舎から、何としてでも脱出してやるという強固な意志によって満たされていた。だから受験勉強のペースが、震災によって乱されたことはいささかも無い。そうして私は無事に、東京の大学に合格した。
 東日本大震災を、私は東京都心の職場(の食堂)で経験した。個人としては特に大きな被害はなかったのは阪神淡路大震災の時と同様であるが、社会やメディアの動揺はあの時よりは格段に大きく、交通機関の混乱や商業施設の臨時休業や職場の時短勤務を直接に体験した。長期化する原発事故によって巻き散らかされる放射線や放射性物質の数値を日々気にするようにもなった。
 しかしながら正直に言うと、それらの事象によって、私自身は全く動揺していない。これより先、二月中旬、極めて理不尽な通告を、職場の上司から受けた。何週間か悩んだ末に、非正規雇用者を受け入れてくれる労働組合に加入し、その組織に対して労働法規に基づいた団体交渉を申し入れることになった。ところがその間、公共施設の業務委託を受注している現在の雇用主が二月末の入札に敗れ、職場の人間は私を含めてほぼ全員が、次年度からこの現場を受注した新しい業者の採用面接を受けることになった。そのような複雑な状況の中で、私は2011年3月11日を迎えた。
 要するに私は、自身が抱えている労働争議に夢中で、この戦後最大の大震災の衝撃を感じるだけの心の余裕がなかったのである。修羅の如き内面であるが、好んでそうなったわけではない。状況に強いられて、そのように成らざるを得なかったのである。戦後最大の大災害に対峙して、社会もメディアも全てがその大震災に関する事柄に専心している時に、私は自分自身の闘いを闘わざるを得ない。震災というネガティブなものであったとしても、世間一般がそのひとつの大きな物語を共有している時に、自分だけが取り残されたような寂しさを感じないこともない。そのような星の下に、どうやら私は生まれついたようである。
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